パラ語とは
前回、パラ語という言葉を勝手に作り、使用したのだが、それはいったいどういうものか、もう少し考えてみる。
そもそも生まれた切っ掛けが、「ノーミソにひっかかるた」の、へ:変鯛(何か変な鯛。腐っても鯛のパラ語)という文章だったのだが、はじめは腐っても鯛の「派生語」としていた。
しかし、派生語だと何となく収まりがつかなかった。説明としては悪くないし、パラ語なんて、通用していない言葉を使うより、よほどいいのかもしれない。ただ、決して、腐っても鯛という言葉から派生したわけではないという点が、どうにも引っ掛かる。
次に「類語」としてみたのだが、これも自分の中で腑に落ちるものではなかった。今ではおそらくこういうことなのかな、と思うのだが、そもそも「変鯛」という言葉が、辞書にない、ある意味存在しない言葉である以上、それが既存の「派生語」や「類語」になり得るか、という感覚があったのだろう。
そうしたら、パラ語という言葉が頭にやって来たので、じゃあそれにしようかと記した次第だ。
パラ語の定義を「その言葉の、平行世界の言葉」とし、次に用例を考えたのだが、これが難しい。
何か一つ言葉を想定し、それの持っているイメージや要素を取り上げて組み直せばパラ語が出来るかと思ったが、あまりいいものにはならなかった。はじめにチョコレートが浮かび、要素を考えた。茶色、土のよう、お菓子で、まず考えたのが「泥菓子」。それに引きずられて、黒い、固形物、無機的で、「アースキューブ」
泥菓子はそれなりに良いかもしれない。この言葉が使われている世界では、「泥のよう」「土っぽい」が誉め言葉なのかもしれないからだ。
しかし、それらが何となくお仕着せな、自信のないものに見えるのは何故だろう。少し考えたのだが、そもそも、理屈を追って作り上げていることに誤りがあると分かった。平行というのは、お互いに、お互いが、まったく干与せず、依らず、独立しているということだ。それなのに、向こうにあるものを、こちらの世界から辿って追おうとしたのだから、ちゃんとしたものが出来るはずがない。
それで、わたしは取り敢えずパラ語を考えるのをやめたのだが、そういうパラ語を作るのを生業にしているのが、詩人なんだろうなと、ふと思った。頭に浮かんだのは、萩原朔太郎の「虫」だった。これはおそらく、短編小説に分類されるかと思うのだが、そのなかで主人公は、鉄筋コンクリートの「意味」を虫としている。
何故、鉄筋コンクリートが虫になるのか。あるいは、そういう読み方をするべきではないのかもしれないし、わたしもこの話を読んで感じることはもっと別なところにある気がするが、平行した言葉が、虫と鉄筋コンクリートが、それぞれ純粋に独立しているのだけれど、どこか共鳴しているというのが、一つの詩であり、その平行している言葉が離れていればいるほど、また強く共鳴しているほど、詩人の持つ力が強いということなのではないだろうか。
詩を理屈で切り刻んでも仕様がないし、何か感じることがあればそれでいいとも思う。ただ、何となくそれっぽい、こちらの世界にある言葉を溢れさせて、向こう側に「繋ごう」としている。あるいは、それ以下で、向こうにあるものなど捉えようとはせず、何か変なにおいのするような、「あたたかい」「やさしい」「うつくしい」「ふしぎな」詩的な言葉をただ撒いているだけなら、それはやはり詩ではないなあと思う。
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