水草律子
本編
短編等
雑文
いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす京
名無しの夏子さんという存在について、話したいと思う。 「名無しの夏子さん」「くねくねとした直線」「透明な木の板」「黄色い赤緑」 こういったものを言い表せられるのが、言葉の強さであり、また脆さでもあるだろう。それがどれだけ矛盾を含み、実存を許されないものだとしても、書き記し、言い切ることが出来る。 勿論それらの言葉に身は無く、実感は湧かないのだから、心無いものと言えるかもしれない。空虚な、無意味なもの。ためしに一日朝昼晩と十回ずつ、これらの言葉を唱えてみた
不思議と記憶に残っている風景や情景というものがある。思い出す――というよりも、ふと、あちらから、こちらの方にやってくるような景色だ。その情景が頭に浮かぶときはいつも、うっとりするような、まるでわたしが今もまだそこに居るような気持がする。 そういった風景は、鮮烈で、人生の中の特別な出来事――というわけでは必ずしもない。そういう記憶はこちらから、意味を辿って思い出せるだろう。その場面を言葉にして人に伝えることも出来る。でも、それは景色を思い出しているのではない。口に出す
北向き、予見 自分が、香の甘い匂いを嗅いでいることに気が付くと、わたしは目を覚ました。ぼんやり左側の壁にくり抜かれた窓を見ると、まだ光が差している。東側の壁――うとうととしていたのは、それほど長い時間ではなかったらしい。 わたしはもたれかかっている脇息から肘を離し、座り直した。ショウジンたちが外の木を切り、わたしのために新しく作ってくれたこの脇息は、頬杖をつくのにも、体を寄り掛からせるのにも良かった。おそらく、最高級の、芸術の域になるデザインの家具は、このような物な
せセロハンのせせらぎ す硯鈴なり 京京よさらば これにておしまい
ゑ絵に書いた絵手紙 ひ百一個めの火鉢 も最寄りのモノリス *
めメダカの目隠し みみんなイルカ し支離滅裂なシシカバブ * イルカが空を飛ぶとき、すべての垣根は取り払われる。
私の人生が、些細ではあるが、ある時を境に変わってしまって、二度と元に戻らなくなった、その出来事を書いて置こうと思う。 今はもう七年も昔になるがその日、私は大多数の人がそうするのと同じく、列車に乗って、会社から家に帰るところだった。ロングシートに座っている私の右斜め前に、三十前後の女が立っていた。私は二つ、訝しんだ。一つ、私はその日、体をずらすのも億劫で、左端から二番目の席に座り、両隣が空いていた。彼女はそのどちらにも座らず、私は四十過ぎた男の悲しさから、体臭やら、風貌
さ殺風景なサイダー き木樹こもごも (喬木灌木曲直交じりあう様) ゆゆくりなく行く春
え柄の無いえのき て手鞠天道虫 あアリスズ・アドヴェンチャーズ・アンダーグラウンド
けケンタウロース ふ吹き寄せる風船 ここごみの言葉 *
く苦しいクロール (水の上を這う) ややんごとなき守宮 ままったりマッシュルーム * イルカとまではいかないけれど、泳ぐことが出来て良かったなあと思う。 みんなのフォトギャラリーから、Blue Watersさんの画像を使わせていただいた。アドリアナ ヴァレジョンを思い出した。画集は持っているが、2007年の原美術館の展覧会を見れなかったのは残念だ。
ゐゐのししゐるか (いなかにいるか) ののっけからのしもち お大きいお米粒 (蟻の眼) * まるいのが「ゐ」で、尖っているのが「い」? 「いたち」の「い」がどちらなのか知りたい。
ら欄間に咲いた一輪の蘭 むムカデむずむず武者震い う浮き世の外郎 * 皆さんの頭に浮かぶのは、どんな外郎か。
つつくりおきのつま先 ね寝鼠寝猫 (平和・安穏) な名無しの夏子さん * 初めに掲載した「つ」が少し理屈っぽく、読点があるのも気になるので、改訂します。こちらの方がよりノーミソにひっかかるのではないかと。
北向き、ファウル・トラベリング 屑葉の上で目を覚ますと、まだ辺りは暗かった。朝になっていないのだろうかと、毛皮に包まれたまま考えていると、雨の音がしていた。横になったままウロのなかを眺めていると、蔦や蔓の輪郭がぼんやりと浮かんできた。わたしは窓の方を見た。雨が降り続けているが、夜は明けたらしい。寝返りを打って出入口の方を見ると、セレンが横になっていた。毛布がたゆたい、規則正しく呼吸をしている。まだ眠っているらしい。 わたしは靴を履いて、静かにウロのなかを歩き、衝立を
漫画化もされている、折口信夫の短編小説「死者の書」について話します。 「死者の書」作:折口信夫 「死者の書」漫画:近藤ようこ まずは本記事の題名を。読み方指南なんて、おもいっきり上段に構えましたが、竹刀は持っていません。おまけに胴を着けるのも面倒くさく、小手ぐらいははめているでしょうか。そんな適当な状態で、いったい何がしたいのかというと、わたしが歴史の知識も特になく、古典にもさほど明るくないままで、「死者の書」を一度読んだ。その、本書を手に取り、読み終えるまで