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大学心理学准教授の立場から「信頼のおける話し手」
今からお話しすることは大変に当たりまえで、したためるのも申し訳ないことですが、それは「何を話しているか」よりも、「誰が話しているか」の方が、大切であり、重要だということです。
おそらく、この言葉を聞いて、反対の意を唱える人は多いかと思います。もう少し言葉を尽くすと、「話し手が誰かという重み」「その話者に対する信頼度」というのは、その度合いによって、受けとる内容が変わっていく。場合によって
名無しの夏子さんの存在について
名無しの夏子さんという存在について、話したいと思う。
「名無しの夏子さん」「くねくねとした直線」「透明な木の板」「黄色い赤緑」
こういったものを言い表せられるのが、言葉の強さであり、また脆さでもあるだろう。それがどれだけ矛盾を含み、実存を許されないものだとしても、書き記し、言い切ることが出来る。
勿論それらの言葉に身は無く、実感は湧かないのだから、心無いものと言えるかもしれな