【小説】奔波の先に~井上馨と伊藤博文~#156
27 鹿鳴館(3)
また、外務卿としての仕事も、少し先が開けてきていた。
先年、条約改正案を各国公使に通知していた。ただ、関税自主権は取り下げると行っても、税率の引き上げは考慮されるようにしていた。各国の感触を確認するとしても、国により交渉の質が違うことがあった。ドイツの公使青木周蔵はドイツ政府と密接な交渉ができていた。この突出した国が出ることに、他の国の公使の成果の問題やイギリスが不満を持つことになってしまっていた。この時の改正案にはイギリスが反対してきた。
しかし、改正交渉自体に乗ってこないということではなく、今回の日本の井上案に変わり、新たな基礎案を作成するため、東京での列国予備会議を開くよう通告してきたのだった。これには日本の外務省としても反対する理由がなかった。アメリカは少し日本の事情を理解して、歩み寄ってはきてくれているが、イギリスはその時になってみないとわからない。特にイギリスの動向が重要だった。
「聞多さん、おいを呼んでいると聞いて来たぞ」
「中井、すまん。工部省の方はええんか」
「それは問題なか。そもそも外務省の御用掛でもあるしな」
「条約改正の話じゃ。欧米の公使館から情報は上がってきとる。しかし、各国との駆け引きを考えると、わしの独自の目が欲しい。そげなこと頼めるのは、おぬししかおらん。関税自主権の方は難しいと読んどるが、税率の引き上げは可能か。領事裁判権なら獲得できるか。ただし、これは国内法の整備の問題もあるがの。そのあたりの各国の考え方や印象を探ってきてはもらえんか」
「外国人の移動の問題などはどうする」
「内地開放か。合わせて考えてはおる。ギブ・アンド・テイクは重要だからな」
「わかった。できる限りのことはしてくる」
「そうか、これが指示書じゃ」
馨はソファに座っている、中井に書類を手渡すために立ち上がった。中井も立ち上がり、書類を受け取った。そして、馨を軽く抱きしめていた。
「またか、わしは…」
「良いではないか、誰も見てはいないぞ」
そう言うと、中井は立ち去っていった。
中井からの情報はしばらくしてから届くようになっていた。とりあえず各国ともテーブルについてはくれそうだった。これだけでも進歩と言えるのだろうか。改正予備会の開催に、持ち込むことができたとしたら馨は、領事裁判権の撤廃と引き換えに内地開放を提案するつもりでいた。
朝鮮問題は、日本と清、朝鮮の問題で済む時期ではなくなってきていた。江華島事件の時に結んだ日朝修好条規に基づき、開港すべき港として仁川を日本は交渉対象としていた。馨は駐朝鮮公使の花房に、仁川港の開港交渉を進めるよう、指示を出した。しかし、王朝のお膝元の開港は、なかなか受け入れられなかった。そのため、公使の花房は強硬な態度で臨んでいた。
また、欧米からの開国要求に、拒絶していたことから、日本に仲介をとって欲しいという要求も、アメリカなどから来ていて、配慮すべきことか、馨の頭を悩ませていた。
開国を交渉しつつも、他国の影響をなるべく少なくし、日本との協調を図らせる必要があったのだ。清からの影響を切ったところで、他の国と結ばれては意味がない。特にロシアは気がかりな存在だった。
朝鮮国内も、揺れ動いていた。ある意味幕末の攘夷、開国論争に近いものを見た馨は、朝鮮の施設に対して忠告をしていた。頑なになるべきではない。朝鮮は、清のように諸外国と戦をすることになったら、国として成り立たなくなる。清には朝鮮を守る力はなくなった。独立国として、日本との関係を作るのは一番良い選択だと、言い続けてきた。しかし旧態依然とした考えを変えるようには見えない。それは多分無理をして日本が動かそうとして、失敗しているだけかもしれないと、考えることもあった。
時には、馨が日本に来た朝鮮使節に、今の状況では日本の出番はないようだ。と言ってみたこともある。清との従属関係を解消するどころか、強めているのではないか。そのような状況で日本を頼りされてもと、煽ってみたりもした。
外務卿として威武的構想を基にして、朝鮮政策をしっかりさせる必要に迫られていた。馨は危機感を持って、当たるべきだと思案した。
しかし、朝鮮の政府と宮廷は分裂していた。国王の父と王妃閔妃が対立していたのだった。これに清を頼る保守派と、親日派、改革派と言う軸もあって、日本の立ち位置の見極めに苦労していた。