「やさしさ」について考えてみた
先日、灯火メンバーからこんな問いかけをもらいました。
どちらもずっと考え続けていることな気がするけれど、ちゃんと言語化したことはなかったので、改めてnoteで書いてみようと思います。
「ネガティブ」と「やさしさ」についてわたしがどう思うかと問われて、確かに両者は結構近いところにあるなと個人的には思うのですが、別ものな気もするので、一旦今回は「やさしさ」について書いてみます。
次回ネガティブについて書くときに、同じこと書いてるじゃん!ってなる可能性はありますが悪しからず。
そもそも「やさしさ」の意味は?
「やさしさ」について問われて一番最初に思ったのは、よく使う言葉だけれど、だからこそ知っているような気になってしまっていて、辞書で意味を調べたことがなかったなということでした。
ということで、一旦調べてみます。
「優しい」と検索するといろんな意味で使われていることがわかりました。
「優しさ」で調べて、一番最初に出てくる説明はこちらです。
「優しさ」=「思いやりがあること」だと仮定すると、「思いやりがある」と感じる瞬間ってきっと人によって違うと思うので、思いっきり持論を言っていいものとして、ここから先にわたしの現時点での考えを書きます。
わたしが思う「やさしさ」
「やさしさってどんなことか」と考えて思い浮かんだのは、「自分を信じて生きられる土台」というものでした。
わたしは物心ついたぐらいから生きづらい世の中だなあと思って日々生きていまして、それでもなんとか今よりも心地よく生きることができないかを考え続けているところがあります。
それで「自分の可能性を信じて生きていきたい」と、よくわからないですけれど、ずっと言い続けているんですよね。
「自分の可能性を信じて生きていられる」という状態が、わたしにとっての生きやすさなんだと思います。
で、「自分の可能性を信じて生きていられる」という状態が自分ひとりでできるかというと現時点でのわたしの答えはNOなんです。
やっぱり人との関わりの中で、かけてもらった言葉に支えられて今の自分がいて、その中で今の自分自身をどうにか少しずつ肯定できるようになって、自分の今やこれからに希望を持てるようになって、少しずつ自分の意思で決断して、行動ができるようになって。
最後にやっと自分を信じることができるようになりました。あくまでもわたしの場合はですけど。
だから、自分で自分を信じて歩めるようになるための一歩目は、誰かがくれる「やさしさ」が土台になっていると思っています。
自信の土台となる「やさしさ」
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