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ため息俳句 韮

 畑のぐるり取り巻きの一部ににらが生えてくる。
 菜園を始めた初期に、韮の種を一度蒔いたのだが、それがそのまま根づいて、毎年花を咲かせる。徐々に勢力をつけて広がり続けるのをみると、いかにも「スタミナ」野菜らしい旺盛な生命力である。
 花はというと、かわいらしい。

  この韮は、古事記や万葉集に登場するというから、古くから食べられていたのだ。

伎波都久きはつくの岡のくくらみ我摘めど籠にものたなふ背なと摘まさね
                        万葉集 3444

  
 作者不詳の東歌であるが、「くくらみ」というのが韮の古い呼び名であった。こんな風に訳されている。

 伎波都久きわつくの岡の茎韮くくらみ、このにらを私はせっせと摘むんだけれど、ちっとも籠にいっぱいにならないわ。それじゃあ、あんたのいい人とお摘みなさいな。(伊藤博 「万葉集」三)

 上四句と結句が分かれていて、女性二人の掛け合いになっている。「あんたのいい人と韮を摘んだら」なんて、一層臭い仲になりそうだと、チャチをいれたくなる。ともかく、れっきとした食用の植物であったのだ。栽培されていたわけではなかったようだ。もともと中国原産というから、このころには日本に定着していたのだろう。

 さて、韮は、やはり匂う。その匂いには好き嫌いがあるだろうが、単純ににおいだけを云うなら、あまり好む人はいなそうだ。
 
 だが、こんな詩を見つけた。

韮    北園克衛きたそのかつえ

一束の韮が
つややかな根を
石の上に光らせてゐた

朝の匂いは
その井戸のそばから
立ちのぼってゐた

冬の水が
なめらかに頬をぬらし
いまはやさしく蒸発してゐた

太陽が
椋の梢を
きんいろに染めてゐた

だけども
厨のなかは
まだ暗かつた

食器の音が
かすかに
そとにもれてゐた

                   北園克衛『家:詩集』1959年

 二連の「朝の匂い」は石の上に置かれた韮の匂いであるだろう。冬の朝の普通の時間経過。顔を洗って、冬の透明な空気、太陽の光、覗くとまだすこしうす暗い台所、家人が朝食の用意をするかすかな物音、そうして、あたりに韮の匂い。
 まあ、そんな風に云われたら、韮の匂いも悪くはない。

 また、こんな、息を呑むような作品もある。

 韮     坪野哲久

戸をして晝をこもれば身めぐりのがらくたたちの影もしづまる
憊れては畳にからだひらめゐつ賢しき文字をつづるにもあらず
このゆふべ靑ぎる韮をいためつつみすぼらしさを打ち消さんとす
鐵瓶のつるをつくろひ悦しめばおぼおぼと黄なり玻璃の内らは
限界のみきはめがたき愚をも知りなほ求むるに貧ははてしなし
充實は涙のはてに成るべきか風なめらかに流るるを知る
解説の文字をおもねりにおちゆくを日ごとにみつついかりを
全開の瓦斯に點火しこの夜更け焔ごときにこころみたしむ
ふきあぐる瓦斯の焔照りいづるりや荒涼とわれら生きつぐ
衰えしわが厨房に青みだち韮ぎらぎらと水打たれあり
雨あとの共同干し場をわれ愛すはためく襤褸ぼろに立つ殺氣あり
                   
                 『北の人 坪野哲久歌集』 1958年

 「北の人」は、本人のあとがきによれば、昭和21年から30年までの作品が収められているとある。この歌人の韮はじゃわじゃと全開のガスで炒められて、薄紫の油がもうもうと部屋に充満して、鼻を衝く匂い、何かが掻き立てられる・・・・・。
 一般的なイメージとしては北園はモダニズム詩人、坪野はプロレタリア歌人、ある意味対極の人である。その二人の戦後のほぼ同時期に刊行された詩集と歌集である。
 

 たかが「韮」といえばそうであるが、なにごとにおいてもそうであるが、とらえ方は様々にあるものだ、なんて通り一遍のまとめ方は、自分の阿呆さを証明するようなものだが、そうと云うしか無い。よく分からないが、そういうことが文学とかに通じて行くのかも知れないと、思ったりする。

 自分と云えば、花を咲かせた後のこの頃になって、韮は青々と茂りだして、いかにも美味しそうなのだ。
 昨日、畑から一握り刈り取ってきた。
 キッチンに置きっ放しにしたので、今朝から匂うのであった。
 そこで、昼飯に冷蔵庫に残っていたキャベツ、白菜、人参、椎茸、玉葱、それに豚こま少々と、炒めた。最期に、そこへ韮を投入したのだった。そうして、結果としては・・・。

秋韮どっさりサッポロ一番味噌ラーメン 空茶


 
 年金暮らしの夫婦の昼飯であった。
 韮は畑の隅で勝手に生えて来る、まったく経済的な昼餉ではないか。