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夢が、夢じゃなくなった日。

「学校の先生になりたい。」

これが、わたしの5歳の時の夢だった。
でもわたしは教員免許も持っていないし、もちろん教員経験もナシ。

じゃあ、どうやってそれを実現するのだろう。
わからないまま、いまも日常を過ごしている。

それでもやっぱり人生ってやつは、
生まれてきた喜びや願いを思い出していく旅路なんだと思う。

ある晴れた秋の日に、わたしの夢は叶うことになる。

*****

「そういえばちっちゃいときに学校の先生になりたかったなあ」

という自分の内側にあった願いを認めたのは去年の夏。

イギリスのちいさな大学院大学、シューマッハ・カレッジに行ったときだった。
そこには、わたしが願ってやまなかった学びの場があった。




同じ年代の人が一律に画一的に学ぶのではなく、
年齢、職業、国籍、宗教などの属性がバラバラの人たちが混ざり合う場。

それでもって、個性と一体感が両方同時に満たされる

知識を詰め込むのではなく、体験から学び腑に落ちる

必要だから、ではなく、自ずから気付き行動していく


わたしが「現実的にはそんなことできない」と諦めていたことを
やってのけていたのがシューマッハ・カレッジだった。

日本にもそういう場所をつくりたくて、
帰国してから40回以上のワークショップをやってみた。

はじめはグループの場をひらくことさえびくびくしていたけど、
数をやっているうちに感覚を掴めるようになってきた。
(今でも初めてやるワークは緊張するけど)

そのうち少しずつ、自分のひらくワークショップについて
SNSに投稿したり、出逢う人に話すようになった。

そうしているうちに、ある日突然
「うちの大学で授業しませんか?」と
とっても有難いご縁をいただくことになった。

願いは、言葉にすることが大事だ。

そして願いを放っていくと、
わたしがわたしであることで喜んでくれる人と出逢えるようになる。

相手が求めるわたしの役割を担うのではなく、
わたしの願いに共鳴してくれる人が現れる。

現実的にどう叶えるかの道筋がわからなくても、
言葉にして表現していくことでどこかしらから、
一緒に叶えてくれる人が現れるのが本当にこの世界のやさしいところだなと思う。

本当に大事な願いを、言葉にすることは恐れがつきまとう。
大事だからこそ、言葉にして放つのは怖い。

「誰からも応援されなかったらどうしよう」
「そんなの叶いっこないよ、と否定されたら傷つくな」

と不安になるのも自然なことだな、と思う。

それでも勇気を振り絞って言葉にしてみると、
必ず誰かが受け取ってくれる。
勇敢で誠実な一歩は、大きなリターンとなって返ってきてくれる。
(これを信じるのに相当時間がかかった)

自分が認められたい、自分だけが良くなりたい、
といったエゴからの願いは大抵うまくいかないけれど、
魂が望むようなピュアな願いは、必ず世界からの後押しがある。

こうして予想もしていなかったご縁から、
5歳からの夢
「学校の先生になる」が叶うことになった。


***


担当させてもらった授業は、「ソーシャルデザイン」という授業。
学部横断で、文理問わず様々な学生が履修できる授業だ。

地方大学のため、最初の2コマはオンラインで。
最後の1コマはオフラインで実施させてもらうことになった。

オンラインでも体験的なワークはできるものの、
やっぱり対面のインパクトには敵わない。
どうしても1度は対面でやりたくて、自ら打診して対面授業をさせてもらえることになった。

11月の晴れた日に、わたしは阿波踊り空港に降り立った。

空港には、今回授業を依頼してくれた大学の先生の姿が。

「お~、なんか先生っぽい恰好やねえ。」

動物に例えるなら大きなお母さん熊のような愛情たっぷりの先生がニコニコと笑って出迎えてくれる。わたしはこの先生の纏う空気感が好きだ。すべてを包み込んでくれるようなおおらかさを全身から溢れ出ている。

わたしの夢を聴いて、ここに導いてくれた恩人である。

徳島には前日入りしてキャンパスの下見をしてから早めにホテルに戻り、翌日の授業に備えた。

心配性のわたしは寝る直前にデスクで再度脳内イメトレを済ませた。
「よし、きっと大丈夫」とペンダントライトの灯りを消し、ビジネスホテル特有のさらっとした白いシーツの布団をかぶった。

「学生さんたちが、楽しんでくれたらいいな」

ドキドキとワクワクの両方を抱えながら眠りについた。

***

そして迎えた授業当日。

ウェザーニュースは曇り予報にも関わらず、
授業の時間は太陽がすっかり顔を出していた。
さすがの晴女。
天気にも祝福されているように感じた。

「教室でやるか迷っていたけれど、
今日の授業は青空教室だ!」

背中に太陽のあたたかさを感じながらそう決めた。

いつもの教室に集合し、「今日の授業は外でやります!」とみんなでぞろぞろと下見しておいた藤の木の下のスペースへ。
ミラーボールがぶら下がっている、なんともお洒落で不思議な空間だった。

わたしが今回もらった授業テーマは、「感性を醸成する」
感性を醸成するならやっぱり外でしょ!という直感に従った。

「外で授業するなんて初めてです」

とワクワクした子もいれば、少し戸惑っている面持ちの子もいた。

チェックインを済ませてグループに分かれ、
まずはじめに、「いただきますのワーク」をやった。

まずは「今日のランチなに食べた?」という身近なトピックを話してもらい、
ご飯が目の前にやってくるまでにどのような道のりを経てやってきたのかを想像してもらうワークだ。




みんなが食べたランチは、どんなもので構成されていて、その食材ひとつひとつに誰が関わっていて、どのようにつくられ、どのように目の前にやってきたのか。
学生さんたちは想像力を働かせて、食材の構成要素のみならず、運送会社や、エネルギー、農家、養鶏場、エサ、太陽や土の中の微生物までも想像しながら取り組んでくれていて、それぞれの視点や感性が交差していた。

お次はシステム理論を学びながら、システム・ゲームをみんなで体験!
理系学生さんが多く、システム理論はすっと理解できたようで。

「なんだか段々小さくまとまって、右回転していくのが面白かった」
「相互作用の中に生きていて影響が波及することを体感した」

などなど、このグループだからこその自己組織化の視点も挙げてくれて
気候変動、SDGs文脈も取り上げながらリフレクションが深まるいい時間だった。

世界の循環やつながりのイチブだと体感したあとは、
それぞれの資質を伝えあうワークをした。

学生さんたちからは、こんな感想があった。

「自分が無意識にやっていることって自分だけじゃわからないんだと思った。」
「自分の影響力を過小評価せず、社会に関わっているということをもっと意識したい」

最後は「変化の担い手」としての自覚をもって
自分の資質(ギフト)を未来にどのように生かしていくかを宣言するチェックアウト。

最近の若い子はうんぬんかんぬん、っていう人もいるけれど、この時のみんなの表情が瑞々しく、わたしには未来を担うホープたちがとっても頼もしく見えた。

放課後タイムでは進路に迷っていた3年生が、

「わたしは働きやすい職場をつくることがしたいんです。でも、働きやすい職場って人によって違うから、何をしたらいいんだろうってわからなくなっていて・・・。
でも今は、自分が理想とする環境をまずはつくってみたらいいんだと気付きました。」

と言っていたのが感慨深かった。

もちろん彼女は、まだ社会に出ていないから、これから先、理想がうまく実現できなくて絶望したり、葛藤する日もあるんだろう。

でも、彼女は大丈夫だと感じた。自分の願いに気づいているから。
何度でもそのうつくしい"自分の願い"を思い出してほしいな、と心の中で祈った。

誰しもに本当には、自分の中に願いがある。

わたしでいう、理想の教育の場があるように
「世界がほんとうはこうだったらいいのにな」というイメージが誰の中にもある。

それを思い出し、叶えていくのが人生の醍醐味であり、仕事の面白さでもあると思うから。太陽の光に照らされながら、自分の願いとつながった彼女の表情は明るく輝いていた。

***

こうして、わたしの5歳の頃の夢が叶った。

そして叶ってみると、良い意味であっけなかった。
それはとても自然な流れで現実化したように感じた。

夢ってもっと「達成感!!!」とか、「ようやくここまで・・・」みたいな感じだと思っていたけれど、そうじゃなかった。

そういうアドレナリン的な感覚ではなく、
心にあたたかいものが染み渡るような、
涙が出るような、記憶に深く刻まれるような、そんな充実感だった。

「こんな景色がみたかったんだよなあ」

と思う景色がそこにはあった。

それは大きな「夢」ではなかった。
非日常ではなく、日常的ないとなみだった。

そのことが、なんだか嬉しかった。

叶って「やったー!」で終わりではなくて、
こういう景色を見続けていたいなと思った。
ちいさく場をつくり続けることが、これからもやっていくことであり、
わたしの役目なんだなとも感じた。

きっと夢が叶う瞬間ってそんな感じなんだろう。
ある日突然叶うのではなく、
すごく遠くにあったと思っていたことが、
一歩ずつ近づいてきて、
いつの間にか目の前にあった。

はじめの一歩を踏み出すのには、勇気がいる。

でも、その一歩を踏み出した先には
自分が本当に心から願うことは、
誰もが本当には実現できるものなんだと思う。

それは「世界平和」なんて大きなことじゃなくて、
日常に溢れているちいさなことからはじまっていく。

人は本来、喜びを感じたくて生きているし、
自分で持って生まれた願いを自覚しさえすれば
願いの方向に自ずから向かっていくものなんだと、
あらためて腑に落ちた体験だった。

授業の最後に学生さんたちがサプライズで
1人1人言葉を添えてわたしの資質を渡してくれた。

惜しみなく与えたつもりでも、
それ以上のものが返ってきて目を丸くした。

同時にいつもだったら恥ずかしかったりして受け取れないものを
今回はしっかり受けとめたい、と思った。


だからこうして記事に残すことにした。

わたしがわたしとして生きていることで
喜んでくれる人たちと出逢えたこと。

1人1人の学生さんたちからの惜しみない愛と、
この場所に導いてくれた先生からのありったけの愛。

先生というのはひと時の役割で、
むしろみんなから教えてもらったことの方がはるかに大きかったこと。

わたしもまた、大きなつながりのイチブとして
生きているんだという実感。


今日も生きて、生かされている。
その当たり前の事実が尊くてたまらない。

今は真っ白なキャンバスに、次はどんな夢を描こう。



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みづき @つながりの学校主宰
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