私は読書に”逃避”していた
たまに訪れる自己紹介の機会で、「趣味は読書です」と言い張ってきた。他に言うことがないから、消去法で出てきた答えだ。
嘘ではない。少なくとも毎月1回は本屋で本を買い、読み続けてきた実績がある。
しかし「どんな本がお好きですか?」と聞かれると、少し困ってしまう。
特にこれといって追いかけている著者はいないし、読み続けている分野の本もない。小説もビジネス書も読むし、学術書を読んでみたり、エッセイを読むこともある。
私は本当に読書が好きなのかという不信感。ずっと放置してきたこの違和感に向き合って、分かったこと。
私にとっての読書とは、趣味ではない。
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過去読んできた本を振り返ると、年を重ねるごとに好んで読む本の種類が変わっていることに気付いた。
高校生までは、ファンタジーやSF系の小説を読んだ。
大学生の時には、学術書や論文と少しビジネス書を読んだ。
社会人になったばかりの頃は、ビジネス書を大量に読んだ。
最近は、現代小説やエッセイを主に読んでいる。
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自分の未熟さに苦しんだ社会人なりたての頃は、最も多く本を読んだ時期であった。毎週4~5冊くらい本を買って必死に読んでいたが、楽しかったからではない。
自分の能力不足を解決するために何かしなければならないと思っていて、その答えが本の中にあると期待していたからだ。
仕事で上手くいかない時や精神的に苦しい時こそ、多くの本を読んだ。本をたくさん買って、これを読めば解決するかもしれないと、少し安心して家に帰ることができた。
では他の時期はどうだったか。
高校生までは、家庭環境の悩みに苦しんだ時期だった。だからこそ、そういったドロドロとした葛藤や苦痛がない、空想の世界に身を投じた。現実世界からの逃げ場であった。
大学生の時には、学費に対する十分な成果を得ようと必死だった。サークルには入らず、講義とゼミ活動に全てを注いだ。学ばなければならないという強迫観念の元で、学術書や論文を読み続けた。
就職活動が近付いてからは、社会に出ることへの不安を抱え、少しでも社会人という存在の在り方を理解するために、ビジネス書を読み始めた。
最近では、ビジネス書を読むことはかなり減った。何か知りたいことがあれば読む程度だ。今は、多様な人たちの気持ちや日常の1コマに接したい。色々な生き方を知りたいと思って本を読んでいる。
間もなく30歳を迎える私は、目先の仕事だけでなく、これからの生き方を考えなければならない時期にいる。友人が家庭を持つ一方で、私はどうなるのかと思い悩み、先の見えない不安を抱えている。
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これまでの読書歴を遡って気づくことができた。私にとっての読書とは”逃避行動”であったのだ。
対処しきれない不安や未知の恐怖がある時、”読書という行為”をすることでそれらを解消できる気がしていたし、実際にいくつかは解消された。
悩みを相談できる相手がいなくても、解決する術を持っていなくても、多くの偉大な先人が書いた本の中に答えが存在するかもしれないという安心感に救われた。
私に救いを与え、感性を育み、成長の糧となった読書が趣味程度なはずがない。
食事や睡眠のように、不可欠の行いであった。
つまり、生きることそのものだ。
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