『東京四次元紀行』 小田嶋隆•著
何かを待つ時間は、読書をするのが一番向いていると思う。停滞しているとても大きな事象があるのに、動かせず待っていた、その間に読んだ本のひとつ。
『東京四次元紀行』 小田嶋隆
コラムニスト小田嶋隆氏“最初の”小説集。2022年6月3日に発行され、小田嶋さんはそのすぐ後の、6月24日に亡くなった。故にこれは “最後の”小説集でもある。
小説『東京四次元紀行』は東京の23区とそこに暮らす人々を描く短編とプラス9つの(周辺の)物語からなる。
短い物語たち同士に強い関連があるわけでもなく、つながっていたりいなかったりと、とても自由に綴られている。主体はあっちへ行きこっちへ行き、時は行きつ戻りつ、様々なヒト・モノ・コトとすれ違い、それと気づくことすらなかったり。
まさに四次元紀行だ。
だから、この小説集はどこから読んでも良いのだと思った。東京のどこに暮らそうとかまわないのと同じ。
私は東京の生まれ育ちで、期間の長短差はあるが、東京23区のうち6区に住んだことがある。通学通勤先もその界隈が多く、人生の拠点はほぼ23区内に置いてきた。今も置いている。
小田嶋さんは北区赤羽のご出身、且つ第四学区(北、板橋、豊島、文京)内の都立高校の卒業生だ。小田嶋さんより20年ほど若い私が同じ第四学区の都立高校に入学する頃にはすでに学校群制度は廃止されてはいたけれど、まだグループ合同選抜制度というのが生きていて、学区内の中学3年生が出願できる都立高校は基本的にこの4つの区内だった。
物語の描写は自分自身にある「地元」の感覚にぴたりと合致するもので、舞台となっているこれらの街の空気感・距離感・規模感にすうっと体じゅうを取り囲まれた。あたかもこの物語のどこかに自分も存在しているかのように。
東京は狭い。けれどあまりにも、大きい。
✣
私がnoteをはじめたのは2020年の2月。世界的な疫病が日本でも急に深刻さを増していた頃だ。中学2年生だった子供の学校で突然決定された臨時休校、自分自身にもひと月続いた微熱と左半身の激痛に全身倦怠感…。そんな不快なあれこれを、言語化すれば少しは整理できるのではと考えた。
当時の世界の変わりっぷりはまるで出来の悪い映画のようで、何者かに騙されているとしか思えないのにどうやら現実らしく、体も心も痛くて堪らなかった。
正しい情報が足りていない、ゆえに混乱するのだ。そう思い世の言論に正解を求めてみても、巷に溢れるのは目も耳も塞ぎたくなる言葉ばかり。探れど探れども、何が正しく誰を信じれば良いのか皆目見当がつかず、言葉を追いかける眼球の裏が揺れていた。
何より辛かったのは、未知の現象に怯え不安を抱くのはすなわち「正しく怖がることができていない」と思わされることだった。物事を“科学的”“論理的”に捉えられていない自分は正しくない、間違っているのだ、理性を保てない愚かな人間なのだ、と。いったい「正しく」ってなんなんだよと感じ憤りながらも。
そんな最中に出会ったのが小田嶋隆さんのこちらのコラムだった。
「人の不安を笑うな」
この言葉に救われたと思う、少なくとも私は笑わない。そして私の不安を嘲笑わない人もきっといる、そう感じてぎゅうっと目と耳を塞いでいた手を離すことができた。
『世相を斬る論客』『反権力のコラムニスト』……。
昨年の訃報を伝えるメディアは小田嶋さんにこんな枕詞を冠していた。生前、とくにこの数年の小田嶋さんはTwitterなども含めネット上で権力に噛み付く「おっかないおじさん」のイメージだったからまあそれも頷けた。
ただ、イデオロギーはどうあれコラムニスト小田嶋隆氏がずっと根底に持ち続けていたであろう思いと綴る言葉が、あの頃、私にとって光であったことに間違いはない。
✣
小田嶋さんがこの小説で描き出した人は人々は皆どこか歪で心許ない。ときに愚かで、ときに僅かながら賢明だ。それは私であり、貴方であり、すれ違った彼の人であり、まだ出会わぬ他人であり。要は何なのか、何者なのか、何故なのか、わかるような、わからないような人々。でも、当たり前にそこにいる人々。
小説の中で、理屈によって推移していないそんな人々の佇まいは否定も肯定もされない。著者の思うがままに綴られ、東京という狭くて大きい街に、ただ「在る」。
コラムニスト小田嶋隆氏は、小説を書くにあたり
のだという。
『世相を斬る論客』『反権力のコラムニスト』の姿の前に、『小田嶋隆』という一人の『書く人』が、長く目のあたりにしてきた東京という街とそこに在る人々のさまに思いを巡らせ、真実も虚構も織り交ぜた物語を創造していていく。それはきっと、自由で面白いことだったに違いない。コラムニストが「私は」という主語で事実を分析し心情を綴ることを敢えてしなかったからこそ、小説の人々は私になり貴方になり、人々の姿がリアリティーを持つ。
小田嶋隆さんが亡くなられてあっという間に一年が経った。この最初で最後の小説を手にすることができたことを、幸せに思うと同時に、もうこれ以降、二度と小田嶋さんのコラムも小説も生まれないのだという喪失感は途方もない。
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