誰しも向上心を持っている (vol 235)
性善説と性悪説
人によって価値観は異なります。違いを認めます。その上で、やっぱり、
「性善説に立ってみてよ」とお願いしたくなります。
「性善説に立て」と強要することもできるでしょうが、多様性を認める観点で、敢えて強制はしません。代わりに、社内ツイートを発信します。
私の価値観を知った上で、どんな行動を選択をするかはマネジャー。
それでもやっぱり、
亀の甲より年の功、経験に基づくつぶやきには普遍性が隠されている。
と私は思いたいし、思ってもらいたい。
生産現場ではトラブルはつきもの。
人為ミスも発生します。不注意で不良にしたり、設備を壊すこともあります。
そんな時のお決まりの対策の一つ、
「厳しく指導します」
「作業者の行動・作業内容・製品をリーダーが再チェックします」
「見回りや監査を強化します」
「問題あればコーチングします」(これ、コーチングちゃうやろ)
要は、「チェック」と「指導」です。
私に言わせれば「監視と矯正」なんですよね。
「こいつは、問題を起こした」
「そんな奴は、また問題を起こす」
「まずはしっかり指導して」その後は
「正しい行動になっているか常に目を光らせて」
「再発させたら、警告します」
といっているように聞こえるのです。
そんな目でチームメンバーを見ていたのでは、信頼関係を築くのは難しい。
管理・監督者から、監視されミスしたら叱責や罰を受ける。
恐怖政治にも似た組織では、全員服従はあっても、全員参加の自律は生まれないでしょう。
いろんな人が働いている。中には、どうしようもない人もいるかもしれない。
とはいえ、チームメンバーの大半、マジョリティに罰の準備が必要?
みんな「向上心」を持っている。
ミスした本人が一番「やべっ」と感じて修正しようとしているはず。
契約社会の文書は性悪説であるのは仕方がないかもしれません。でも、
日常マネジメントは性善説に光を当てたい。
ここ最近、注目されている「心理的安全性」はスタッフの関係性の話題ではないはず。人を萎縮させる政策ではなく、各人の持っている「向上心」を信じる、活用する、拡大する。そんなマネジメントができたらいいなと思います。
「また、あいつや」ということもあるでしょう。損失が出るかもしれない。
マネジャーたちはそれを避けたいと思っています。それは解るのです。が、
みんなが恐れる課題だからこそ、少しずつでも変えたい。
ごく一部の問題児のための「制限」のマネジメントをではなく、
マジョリティーの自律やいい行動を「伸ばす」ことに力を注ぎたい。
毎度のように、マネジメントの甘さが出ているのかもしれません。
それでも、
厳格さと寛容さの両立
見えないものを探すリーダーとして旅をしたいですね。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございます。