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一冊の本を中心としたシンプルな一日をだらだらと綴る。
只今の時刻23時04分。
明後日は4時に起きなければならないので、睡眠時間を調節するため今日は少しでも早く寝なければならない。
だけれど書きたくなってしまったのだ。
なんていうことのない今日という日の日記を。
ここ1週間ほど私は床と一体化する日々を送っていた。
9月半ばから毎年恒例の夏終りの自律神経ストライキ期間がやってきていた。しょっちゅう立ち眩みがした。起き上がる際や立ち上がる際にクラっと。
加えて先週の水曜日にはおも~い生理がやってきた。しかも予定日より少し早めに。その日はボランティアで外で立ちっぱなし。立ってられないと思ってしゃがみこむことが多々あり、帰る頃になって生理がきていたことに気付いた。君ですか。
そんなこんなで、予定はキャンセルしまくり。
外に出たくないので引きこもりエブリデイ。
ごめんなさい。嘘です。多少は動いてました。
風呂を二日連続キャンセルしたり。汚い。夏なのに。
やる気がわかない。動きたくない。だるい。
挙句の果てには風邪を引いて楽しみにしていたピザパをキャンセル。
風邪で死んでた日はちょっと微熱があるような無いような程度だったのに、体が痛くてほぼ床と化しちゃっていた。
そして今日になってやっと少しやる気が。
さて、やっと本題。
なんということのない一日をどこにも需要のなさそうな詳細さで語ってみよう。
まず起床は9時過ぎ。この時点でもう憂鬱。
起きてみる。立ち眩みもしないし、昨日までひどかった体の痛みがだいぶましになっている。
朝食を取る。いつも通りトースト。
普段は紅茶を淹れるのだが、最近はお湯を沸かすのすらめんどうで何も飲まなかったり、オレンジジュースを飲んだりしていた。家には頂き物のちょっといいオレンジジュースがあった。
オレンジジュースのビンに手を伸ばしてやめた。
オレンジジュースは午後に飲むのにとっておいて、ちょっとだけ頑張って紅茶を淹れることにした。
少しだけ体にいい行動を取った。
朝食を食べ終わったらテーブルを片付けもせず、残った紅茶を啜りながら、昨日借りてきた本に手を伸ばす。最近は夕方になるまで皿洗いもまともにしないことが多かった。
『〈知〉の取扱説明書』 仲正昌樹 著
以前同じ著者の『統一教会と私』が面白かったから図書館で借りてきた本だ。
夏休みは読書に時間を割こうと思っていたのだがなかなか割けずにいた。忙しかったからではない。楽なスマートフォンへと流れていたからだ。『こころ』とかちょっと私には背伸びが必要な本を読みたいと思い、夏休みが始まった頃に図書館で借りてきていたのだが、結局読まずに返してしまった。
今日は一日基本的に本を読んでいた。
優しく書かれている本なのにも関わらず、はじめは読むのに苦戦した。最近本を読んでいなかったからである。まあ一応、読みやすい小説はこれを読む前に読んでいたが。
そんなわけで脱線しまくりながら、一日をかけて読み終えた。
脱線先のひとつはスマートフォンとパソコン。二つになっているが、そこはネットということでひとつとみなすものとする。
本を読んでいると分からない単語に出くわす。というか、分からない単語ばかりが出てくる。分からないところを調べ出すと本を読み終わりそうにないので、最低限の内容だけ調べる。
そうして、スマホやパソコンを手にすると脱線する。
本来調べようとしていたこととは別のことが気になりだす。
例えば昨日のnoteの投稿が伸びたかどうかが気になって何度もダッシュボードを見てしまう。SNS依存である。承認欲求が暴走している。現実があんまり楽しくないからだろうか。
承認欲求を満たすために書くこともないのに、記事を書いたり。途中で飽きてタイピングゲームの「寿司打」を楽しんだりもしていた。
今は書きたくて書いている。次から次へと文章が出てくる。いつもは書きたいことがあってもまとまらないのだが、今は出てくるものをそのまま書いている。きっと書いているものの質が違うからだろう。普段は思考した中身を書いている。思考は論理的に組み立てられたものではなく、断片が漂っているだけ。書きたいことはあるのだが、適切に並べられないということが多い。もしくは、伝えたいからこそ、どう書くか悩んでしまう。
今はただ起きたことを書き連ねている。
こんな文章を書いていたら、先ほど読んだ本の著者の仲正昌樹氏に怒られそうである。
他の脱線先には食がある。
今日は午前中にアイスを食べた。小さいころからアイスは午後のおやつとしてもしくはお風呂上りの楽しみとして食べるだと思っていたから、午前に食べるアイスは背徳の味がした。
午前にアイスを食べたからかなかなかお腹が空かず、お昼は13時頃に食べた。母が用意していってくれたものを美味しくいただいた。母の料理は本当に美味しい。
私は調子が悪くなると過食気味になる。ずっと食べ続けていたりする。ちょっと動くのもだるい癖に、食べ物を探しにキッチンに行くことは出来るのである。なんてこった。
今日は少し食欲が落ち着いていた。食欲は私の調子のバロメーターのひとつである。
有意義な脱線先もある。
ひとつは予定調節だ。元気がないときは人と会いたくないので先の予定も入れたくない。少し元気になってきたので、人との約束ができるようになった。まあ、予定を入れると楽しみな気持ちが湧いてくると同時に不安とプレッシャーも湧いてくるのだが。
あとは本を片手に掃除機をかけたりもした。
本来は床に置いてあるものや落ちているものを拾い上げるための左手で、本を読みながら掃除をかけた。すなわち、適当に掃除機をかけたのであんまり綺麗になってはいないだろう。
他には本片手に家庭脱毛器で脱毛したり。
脱毛器は母が職場の同僚からもらってきたものだ。買ったはいいけど、怖くてほとんど使えなかったらしい。ありがたく使わせてもらっている。
めんどくさくてさぼっていたので久しぶりにすることが出来た。
後は家の中を移動しながら読んでいた。
勉強机のチェアに座ってみたり、ソファに座ってみたり、ソファで寝っ転がってみたり、寝室である和室で枕を抱えながら転がってみたり、押し入れに入れた布団に体をうずめてみたり、リビングでストレッチをしてみたり。
今日の夕飯は祖母の家で食べた。
祖母は私の家から徒歩6分のところに住んでいる。
夕方になったので、本のみを手にして祖母の家に向かう。
夕食まで少し時間があったのでピアノを弾いた。祖母はピアノの先生をしているので祖母の家には立派なピアノがある。
私はピアノを習っていなかったのでまともには弾けない。簡単なものに編曲した『世界の約束』と『人生のメリーゴーランド』を弾いた。以前練習したものだが、しばらくやっていなかったので当然下手になっている。祖母の家に行くとたまに思い出したように弾くのだが、普段弾いていないので当然いつまで経っても進歩しない。
祖母が元気な今のうちにもっと練習しておいた方がいいのかもしれない。とはいっても今は特にモチベーションがない。
夕食を食べ終えた後はまた読書に戻った。
手元にスマホもパソコンもなかったので、分からない言葉は祖母の家にあった広辞苑で調べた。知りたかった言葉はばっちりそこにあった。
この夏、再放送していたドラマ版の『舟を編む』を見た。辞書を作るお話で、そのなかで”ぬめり感”という言葉が出てくる。ページをめくるときの、質感の説明である。詳しくは、映画やドラマを見るなり、原作本を読むなりして欲しい。それを広辞苑で体感することができた。以前、ドラマを見てすぐに我が家の辞書を取り出して、ぬめり感を体験しようとしたが、そのときはぬめり感というものがよくわからなかった。それは私の感覚の問題だと思っていたのだが、その辞書そのものがぬめらなかったのだ。今回ぬめり感を体験することができた。嬉しいおまけである。
たまには紙の辞書を引くのも乙なものである。
本も読み終わったので、家族を残して先に家に帰った。
家に帰ると読みかけだった、森博嗣氏の『つぼやきのテリーヌ』を読んだ。
それから風呂に入った。
風呂にはスマホを持ち込んだ。私の悪い習慣のひとつである。
湯船に浸かりながら坂口恭平氏のnoteを読んでいた。
そうしていたらnoteをどうしても書きたくなって現在1時12分に至るというわけである。
坂口恭平氏の著作のうちお気に入りの一冊は『自分の薬をつくる』である。坂口恭平氏の双極性障害との付き合い方が書かれている。双極性障害は、寛解を保つために服薬が必要とされている病気だが、彼は薬なしで寛解状態を数年保っているそう。誰にでもまねできることではないが、ちょっぴり生きやすくなるためのヒントが書かれている。
ーーー
というわけで深夜になってしまった。
最後に『〈知〉の取扱説明書』の感想を少しだけ。
9割5分怒られて5分褒められた。
著者の考えに当てはめると私は基本的に学問に対する態度がなっていないらしい。まあ自覚はあったんだけどね。
褒められたとこと言えば、無知を自覚しているということと、ドラマ『相棒』のあらすじが追えるということぐらいだろう。これを褒められたと書くと著者から「君は何もわかってないじゃないか」とご指摘が入りそうだが。
これ以上は書かない。私の書評など読むだけ無駄である。これは二つの意味がある。私の書評など価値がないという意味と、書評を読んで内容を知った気になっても意味がないという意味の二つである。
興味を持った方はぜひ読んでみて欲しい。腰を据えなくても読めるように優しく書かれているから。
本当は今回図書館で本を借りるときに、『哲学者カフカ入門講義』か『ニーチェ入門講義』を借りたかった。だけどひよってしまった。今の私にはこの本は読めない、すぐに放り出してしまうと。
ああ、このくらい読めないようではと、怒られそうだ。気が向いたらトライしたい。
特に何の主張があるわけでも、特別な経験を綴ったわけでもないこの記事が今までで一番長い記事となってしまった。
こんな毒にも薬にもならないような記事を最後まで読んでくださったあなたに感謝する。
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