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歩くパンセ

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歩く人の思索です
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#RX100M3

歩く人の神様はいるのかな? ~なんで歩いていると色々閃くんだろうか?~

僕が唯一信頼していることは「歩くこと」と言っても良いくらい、歩くことへの絶対的信頼を持っている。 数々の紀行文で有名なイングランドの作家ブルース・チャトウィンが、処女作『パタゴニア』の中で、ペルシャ人に宗教は何かと聞かれて、こう答える。 「今朝はとくに宗教を持っていません。僕の神様は歩く人の神様なんです。たっぷりと歩いたら、たぶんほかの神様は必要ないでしょう」               (『パタゴニア』芹沢真理子訳 河出文庫) おそらくは実際に彼がそういう宗教観を持って

歩く人⑦

歩くには都合の良い道がそこにあった。 言ってみれば、それだけのことだったのかもしれない。 江戸時代頃には東海道と呼ばれた道。 今は国道1号線として綺麗に整備されているから、神奈川あたりなら道路は四車線で車通りも多いし、歩道も広くゆったりとしている。 昔と比べたらずっと歩きやすくなっているのだろうと思う反面、アスファルトの路面は硬く、足首や膝に掛かる負担は土の地面を歩くよりも大きい。 痛みを感じたら、無理はしないほうが良いと思う。普段歩きなれていない人は、その痛みが日常生活

僕たちは急ぎすぎているのかもしれない~歩く速度と生命の速度について~

ここ数ヶ月の疫病は、僕たちに何をもたらしたのか。 僕たちの何を変え、何に気づかせ、何を残していくのか。 僕はこのところずっと考え続けているし、誰もが嫌でも考えざるを得ないと思う。 この終わりの見えないトンネルからいつ抜けることが出来るのか。いつになったら顔を覆う暑苦しい布をゴミ箱に投げ捨てて、友人や恋人と思い切り笑いあうことが出来るのか。 まるで理想のようになってしまった、かつては当たり前だった日々を、いまや遅しと待ち焦がれても、それは簡単には戻ってこない。 僕たちがどれだ

歩くために、歩いてみよう

 目的を持って歩くことも良いけれども、目的なく歩くことはもっと良い。  目的のある歩行というのは、例えば買い物に行くためとか、駅に行くためとか、何か歩くこと以外の目的を達成するために歩くことがそうだ。東海道を踏破するとか、シルクロードを踏破するとか、世界を歩いて旅するとか、そういうのも目的のある歩行かもしれない。  目的のない歩行とは、ただブラブラ歩くこと。なんとなく家の周りを歩いたり、近所の川沿いを歩いたり。要するにただの散歩のことで、散歩には、散歩すること以外の目的は

僕は歩く人になろうと思う~歩行の速度、身体の速度、そして現代の速度~

 人類の起源がいったい何百万年前まで遡るのか、その正確な時間を知ることは出来ないけれども、その起源の地とされている現在のアフリカ大陸中央部から、ホモ・サピエンスが外部に移住を始めたのは、一説によると、約7万年前とされている。  ある者たちは、アフリカの東端、現在のソマリア半島から海を渡り、アラビア半島を経て、ユーラシア大陸、そしてアメリカ大陸へと移動した。またある者たちは地中海を越えて、ヨーロッパへと北上した。そして、ある者たちは、アフリカ大陸の南端へと辿りついた。    

歩く人⑥

この道を歩け、と囁く声が聞こえたような気がした。 4月末日、何気ないの午後の散歩の途中のこと。 東海道線辻堂駅の少し北にある、国道一号線沿いを歩いていたときだった。 それはかつて東海道と呼ばれた道だ。京都から日本橋までをつなぐ幹線道路。江戸時代以前から何百年にも渡り、無数の人々が徒歩や馬で旅をした、歴史的な要所。 ふいに、この道をまっすぐ歩いてみたくなった。 それは衝動のようなものだったかもしれない。ちょうど来た道を折り返して、家に帰ろうと思っていた矢先の、突然の衝動。

歩く人⑤

最近は絵を描く手を休めて、写真ばかり撮っている。 歩くことと写真を撮ることは、かなり相性が良いようで、昼も夜もブラブラと歩きながら、道すがら気になったものを、特にこだわりなく撮る。ついでのようなものだから、作品作りのためとか、良い写真を撮りたいとか、そういう強い気持ちは特に無い。 SONYのRX100M3という手のひらサイズのデジカメを一つ、ポケットに忍ばせて、あとはひたすら歩く。気になるものが目に入ったら、すっとカメラを取り出して2,3枚パパッと写し、また歩き出す。 そ