見出し画像

歩く人⑥

この道を歩け、と囁く声が聞こえたような気がした。

4月末日、何気ないの午後の散歩の途中のこと。
東海道線辻堂駅の少し北にある、国道一号線沿いを歩いていたときだった。
それはかつて東海道と呼ばれた道だ。京都から日本橋までをつなぐ幹線道路。江戸時代以前から何百年にも渡り、無数の人々が徒歩や馬で旅をした、歴史的な要所。

ふいに、この道をまっすぐ歩いてみたくなった。
それは衝動のようなものだったかもしれない。ちょうど来た道を折り返して、家に帰ろうと思っていた矢先の、突然の衝動。
それに日暮れまではまだ少し時間がありそうだった。

とりあえずひと駅歩いてみよう。辻堂駅から茅ヶ崎駅までなら、ゆっくり歩いても恐らく数時間程度だ。そこまで遅くなる心配もないだろう。

それに、当時悶々と頭を悩ませていた、どこか暗澹として出口の見えない日々について、それがもたらす感覚の出所について考えたいと思っていた。考える時間が欲しかった。
押し付けられた自粛という強制。日々空中戦のように飛び交う言葉。日常を超越した大きな言葉が発せられる意味。金銭的価値によって優劣が付けられる経済活動の変動。澱のように心に沈む、言葉にならない居心地の悪さの根源。

そして僕にとって歩くということが、考えるために最も重要な行為であることを、僕は経験から知っていた。

国道一号線の歩道を西へ、ただ歩くためだけに、歩く。
考えるためには歩かない。歩いていれば、ある時点から思考も一緒に歩き始める。そして、何かしらの光を、僕に与えてくれる。これは確信だ。

30歳を過ぎて独学でクリエイターになり、経験の未熟な自分が仕事のアイディアに行き詰ったときに助けてくれたのは、いつも歩くことだった。
文字通り頭を抱えて悩みに悩んで、答えのない闇の中を手探りで進むような苦しい状況のときでも、通勤と退勤の僅かな歩行の時間が、時に答えを、時に重要な手かがりを、閃光のように与えてくれた。
歩いていれば、必ず何かが光を与えてくれる。これは自分の唯一の絶対的信仰といっても大げさではないかもしれない。
そうして終えた仕事が評価されなかったことは一度もなかった。100以上の仕事をこなしてきたはずだ。100%というのは正直自分でも驚く。しかし、これは紛れもない事実だ。

歩行への絶対的信頼を軸にした、僕の日々の歩行の習慣。
だが、今回の歩行は、これまでの歩行とは根本的に異なっていることを、僕は後に知ることになる。

画像1

自分の普段の歩行は、大体が通勤か散歩だ。
通勤なら家から駅まで約15分。散歩でも、近所を1時間ものんびり歩く程度だが、それでも結構歩いた気にはなっていた。
スマホが勝手に記録してくれる日々の歩数を見れば、自分の平均歩数は、おおむね1日1万歩。現代社会の中ではそこそこ歩いている方だろう。
長距離を歩くことに不安はひとつもなかった。

辻堂から茅ヶ崎まで、どのくらいの距離があるかは具体的にはわからない。電車で約5分くらいだったはずだから、恐らく約4~5キロといったところだと思う。
というと、それほど大した距離でもないように思えるけれども、実際に歩いてみると、その4~5キロは意外にもかなり長い。

辻堂から1時間ほど歩いただろうか。
茅ヶ崎はまだ遠そうだ。すでに30分ほど散歩していたとはいえ、自分の普段の歩行距離をとっくに越えている。いや、単純に運動不足かも知れないけれども、その辺りから太ももと腰ににぶい痛みを感じ始めた。
次第に脚が重くなり、明らかに脚が疲れてきていた。歩くことには自信があったが、たった1時間半程度歩き続けただけで、こんなにも疲れるとは思わなかった。一旦立ち止まり、深く息をつく。心肺のほうは問題ない。

歩道はきちんと舗装されていて、起伏も少なく、とても歩きやすい。
バスが頻繁に通る道だから、最悪疲れて動けなくなったら、バスを待てば良いか、なんて気楽な気持ちで、再び歩き始める。
脚と腰の疲労はどんどん増してくる。それほどの距離もないはずなのに、道がとても遠く感じられる。

気がついてみれば、考えたいと思っていたことなど一つも頭に上ってこない。あるのはただ足の痛みと、腰の痛み。思考は止まっている、というか、いなくなっている。
一緒に歩いてくれると思っていたのに、一体どこへ行ってしまったのか。最初の30分くらいは確かに真横にいたはずだ。なぜなら自分のメモに「言葉に反発しているのか?」という思考からの問いかけが、確かに記されているから。僕は思考を道の途中に置いてきてしまったのか? 
僅か3行のメモを残して、思考はどこへ行ってしまったのか。

それでも立ち止まろうとしない身体。何か自分の意思とは別のものが、身体を前に動かしているような気さえしてくる。
「いち、に、いち、に」自然と頭の中に掛け声が浮かんでくる。

その掛け声さえも消えてきたとき、
「歩け、歩け、歩け、歩け」という声が、頭の中に聞こえてきた。
これは自分の声なのだろうか? わからない。その声に引きずられるようにして、歩く。ひたすらに、右足と左足を交互に前に出して、身体を進めるという移動を続ける。

そこにあるのは、身体の痛み。太もも、ふくらはぎ、くるぶし、足の裏。地面を踏みしめるごとに、その痛みは、それぞれが存在を声高に主張してくる。
普段はほとんど気にとめることはないが、常に当たり前に自分と供にある存在。そして、それが自分自身であることを、痛みによって全力で伝えてくる。

「歩くことは、痛みを感じることでもある。太ももの裏の鈍い痛みと付き合うことだ」
思考の代わりに、身体が教えてくれたことを、僕はメモする。
その短い言葉に、僕は確かな手ごたえを感じる。これは自分自身の言葉だ。誰に与えられたものでもない。どこの本にも恐らくは書いていない。自分自身の中から湧き上がってきた、自分自身の確かな痛みが紡いだ言葉。

自分が求めているものは、これかもしれない。
その確信めいた思いが閃光のように僕の脳裏に浮かんだとき、自分の隣にいたのは、思考ではなく、身体だった。

画像2



約2時間で、茅ヶ崎駅北側に到着した。
到着したとたんに、どっと疲れが押し寄せてきた。疲労はピークに達していて、これ以上歩くのは無理そうだった。
自分の体力のなさを少しばかり呪いながら、駅近くのファミリーレストランで夕食を食べて帰ることにした。疲れた身体に油の乗ったハンバーグをゆっくり浸み込ませながら、この先に続く道のことを考えていた。

東海道は京都まで続いている。茅ヶ崎の先には、平塚があり、大磯があり、その先にもまだまだ道がある。そしてその道を、昔の人たちは徒歩で移動していた。どこまでも歩いていたのだ。いま僕が、こうして歩いたのと同じように。

はじめは、ほんの散歩のつもりだった。
しかし、このわずか2時間程度の歩行を通して、僕の意識はすでにその先に向かっていた。
次は平塚まで歩こう、そして大磯からもっと先へ。この東海道を小田原まで歩いてみよう。

自粛期間とはいえ、散歩は禁じられていない。人通りはほどんどなく、電車も人は少ない。密になることはないだろう。近所の混雑したスーパーに行くよりもずっと安全だ。

自分がこれまで知っていた歩行の先に、もっと激しく、痛く、厳しく、そして面白い歩行がある。
その先を歩いてみたい。昔の人たちのように、自分自身の脚で。

こうして僕は、特に何のためでもない歩行を始めることになる。
それが、これからの自分の一生のライフワークになるだろうという、思いを持って。

ただ歩くために、歩く。
その移動の先に何があるかはわからないけれども、道が続いている限り、僕はどこまでも歩いていけるはずだ。

(つづく)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
miuraZen
歩く人

描いたり書いたり弾いたり作ったり歌ったり読んだり呑んだりまったりして生きています。
趣味でサラリーマンやってます。


よろしければサポートお願いします! あなたの心からのご支援は「湘南の散歩屋さん」活動資金として使わせていただきます。