過疎地に生まれた私の葛藤(エッセイ)
私は人に怒りを見せないが、心の中では怒っていることが多い。
正直、人に怒りを見せたところで関係が悪化するだけで、怒りを見せないほうがプラスに働くと思っているけれど、怒りを見せないことにより「この人は怒ってもいい人なんだな」と思われてしまうのも、そういう意味ではマイナスに働いているなと思う。
私が相手に怒りを買う理由は単純で大体が「何がしたいの?」と思われがちである。
「環境が悪いから」と言えば、言い訳に聞こえるだろうが、その言い訳が100%正しいわけではないけれど、その数十%を批判したところで解決はしないのだが、私は一番小さな市の生まれであり、その町で生まれたことによる選択肢の狭さは否定しようがない気持ちはあるのだけど、どうしてそれを言い訳であると断言できる人たちがいるのだろうか?
所詮、人の評価に過ぎないのだが、私には割り切ることができそうにない。
なぜなら人の善意も悪意も、その人が育った環境によって決まるに決まっているからである。
私は過疎化が進んでいる市の、市とは呼べないような村社会に生まれ、その小学校の同級生のリーダーから悪意を買い、いじめられるようになった。
私は生まれながら体が弱く、運動ができないことを理由に仲間外れにされることが多くなり、心を病んでしまった。
今は薬を飲むことを強制され、薬がないと生活ができない体になってしまう。
彼らによって、「死ね」「殺す」などの殺意の言葉は日常的に言われてきたので、その環境から逃げることができなかった。
嫌でもその環境を強制的に経験せざるを得なかった私はどうして、あの市に残る選択をしてしまったのだろうか? 視野が狭かったからだと今は思う。
私は私が憎い。
言語化していっているが、それが「怒り」だけになっていくかといえば、そうでもなく、私にも悪いところが多少なりともあるから、それを言い訳にしているのだろうか?
でも、もう彼らの中に私は残っていない。
だが、私の中に彼らは残っている。
その子たちの名前は今でも思い出せる。
彼らの中の私は名前すら残っていないだろう。
私の生きづらさは私しか知らなかった。
あの市は運動神経のない者は非市民扱いであった。
私は、その神経が未発達だったがゆえに生きづらさを今も感じてしまっている。
私は、あの市の高校を中退してしまった。
なので両親から「ごく潰し」とか「お前は私たちの子供じゃない」と言われ、その市の誰にも私のことを認める者がいなかった。
私は一回目の高一のとき、精神科へ行った。
私の病気は、そのとき「適応障害」であり、「発達障害」とも診断されたようだ。
そのときの「発達障害」はマイナーな名称であったため、世間では浸透していなかった。
タイミングが悪かった。
私は障害名を忘れ、健常者として五年間過ごした。
そして「統合失調症」を発症した。
嫌な現実が待っていた。
私のことを最近知った人には伝わらないだろうし、言い訳するなとしか思われないだろうが、こういう文章を書いている私も少なからず言い訳するなよと思っているけれども、心が悪いのだから、こうして発散するしか方法がないのだから、少しか、とても、あわれな人が何を言っているだろう程度に思っていただけたら幸いです(なんの?)。
とりとめのない文章でしたね。
結論は特にありませんが以上です。
すみませんでした。