“捨てる”と“選ぶ”の覚悟〜「汝、星のごとく」読書感想文
凪良ゆうさんの作品を初めて読んだのは『流浪の月』だった。私は凪良さんの言葉のチョイスやその表現力に驚き、そして憧れた。例えば本作で、暁美の父親の浮気相手のことを、自分の母親と比べて評する場面。
あぁ、できれば私もそういう女性になりたかったんだと気づかされる。
何冊か読んだいずれもが、日常を描きながらしかしそれは誰にでも覚えのある日常とは少し違う。特異な環境や設定の中で自由を求めてもがく人たち、それが凪良さんの得意技だ。
『汝、星のごとく』/凪良 ゆう
本日、本屋大賞の発表があった。昨日までに私はノミネート作のうちの半分を読んでおり、その中では本作が一番ささった。ただ、凪良さんは3年前に既に本屋大賞を受賞されており同じ作家さんの複数回受賞は相当難しいと言われている。結果的には凪良さん2度目の受賞となった。おめでとうございます!
『流浪の月』の時もそうだったが、凪良さんの作品を読んでる私は、そこに出てくる人たちの噂話をしているその他大勢の一人で、噂の対象たる人たちは世間と少しズレていて、それを批判しながら同時に実はそっち側に憧れてたりする。憧れてるけど自分はそっち側に行く勇気もチャンスも覚悟もなく、諦め、皆と一緒になって悪口を言ったりしてる。それが私であり、読者なんだと思う。
人の噂ほどあてにならないものはない。そんなに知りたいなら本人に聞けば良いのに、少しばかりの状況証拠で勝手な物語を組み立てて悪口言うなんて、ホント嫌になる。例えば人間が2人いると、その関係性を自分が知っている言葉で括りたがる。親子、兄弟、恋人、同級生、先生と教え子、男のことしか頭にない母親とほったらかしの息子、父親と浮気相手、その父親に捨てられたかわいそうな母親とかわいそうな娘‥
普通って誰が決めるの?普通じゃないって何と比べてるの?凪良さんの作品にはいつもその目線がある。
だからか。父親の浮気相手である瞳子さんにしろ、暁美と“互助会”的結婚する北原先生がカッコいいのは、自分の選択を貫く覚悟が出来ているからなんだ。北原先生は言う。
自分がなにに属するかは自分で決める。自分を縛るものがこの先もずっとかわいそうな母親で良いのか?家族だからって、可哀想な母親を見捨てられずずっと側にい続ける必要も義務もない。どっちが正しいなんて誰にもわからない。
私は自由という言葉を履き違えていたのかも知れない。何処に行っても良い、何をしても良い、好きなことをすれば良い。それが自由というわけではないのだ。どうしたって人間はなにかに属さないと生きていけない。だから、なにに属するかを決める自由。言い換えると、
不自由さを選ぶための自由
は誰にでもある、と知った。幸せかどうかだって、誰かが決めるものではない。自分で選んだ幸せなら、自分で愚かだとわかっていたって、周りから間違ってると言われたって、迷いはない。
大人として、だとか、常識的に考えると、だとか、そういうものさしからはみ出した人たちを描くのがうまい作家さんだ。はみ出した生き方そのものを真似る必要はない。モデルにすべくは、その“捨てる”と“選ぶ”の覚悟だ。揺るがない覚悟があるからカッコいい。そこを学ぶのだ。
全344頁の、310頁目の数行が私は本作の肝だと思っている。ここに到達するために櫂と暁美はとんでもない回り道をするのだ。何故もっと早くに気づかなかった?何故もっと前にそこに行きつかなかった?なんでそんなに拗らせた?そう悔やむのは読者であって、2人にとっては回り道をしたからこそやっと辿り着けた結論だったのだと、読み終えた今なら納得出来る。
官能的な純愛小説。矛盾こそが凪良作品なのだ。良き。