メンタル地獄日記 -毒親(父親編)
僕が父に抱いている像は2つあります。
①サラリーマン(仕事をしてお金を家庭に入れる人)
②僕の病に関してついぞ一ミリも理解をしようとせず、関係が切れた人
どうも、人というのは1色ではなく多面の色があると思うのだけれど、僕が父に抱いている印象は2色で構成されている人、という感じです。
だから、それはそれ、これはこれ、になってしまいます。
例によって深掘りです。
①サラリーマン(仕事をしてお金を家庭に入れる人)
サラリーマンといっても、父がどんな仕事をしていたのか僕は具体的に詳しく知りません。
父は仕事に関することを家庭に持ち込まない人でした。
朝、僕より早く会社に行き、20時くらいに帰ってきて、夕食とビールを飲み、寝る。
それを週5日繰り返す。そんな人。
趣味らしい趣味もない。
強いて言うなら電車が好きで、子供が見るようなDVDをたまに観ていた。
タバコは吸うが、別にギャンブルもしない、家に当たり前にお金を入れる『働く担当』の人。
それが僕の父だった。
月〜金(朝から晩)まで当たり前に働く。
僕には到底真似できない事で、尊敬していたし、今もこの面ではしている。
ただ贅沢を言えば、家庭はすべて母に任せっきりだから、多分子どもを育てるということ、交流の大切さ、関係を築くことに関してはレベル0のままで、今も何も知らないと思う。
悪い意味で古い人だと思う。
同じ地面には立っているが、溝があるというよりも5センチ幅くらいの落ちることはない、しかし決定的な相容れない亀裂があったと思う。
もちろん、『働く』『家にお金を入れる』『仕事を家庭に持ち込まない』『ギャンブルや酒によって暴れたりしない』という面を見れば『父として親の責務を果たしている』と言えるし、重ねていうが僕はこの一面は誰よりも尊敬している。
けれど、そちらにすべてを極に振り切っており、だからこそウチの事は何も知らないように感じた。
いや、知らないというか『流れに任せる』と聞こえはいいが、何もしなかった。
事実僕の病気に関して何も知らないのだから。
②僕の病に関してついぞ一ミリも理解をしようとせず、関係が切れた人
簡単言うと僕が学校に行けなくなった時、無理くり自動車で護送して下ろそうとしたり、僕が思いの丈を言ったら、明日一定のストレスに足したらブチ切れ、血まみれになりながら警察を呼ぶほどの大喧嘩になったりして、話し合えない人だった。
僕の病は「病院に通って薬を飲んでいれば勝手に治るのだろう」と考えているようだったし、これは母についても同様なのだけれど、より興味がない感じがしました。
『自分は専門家ではないのだから、医者に全て任せる』そんな感覚です。
そしてついぞ話し合わないまま、理解し合えず、別れた。
具体的なエピソードをいつもどおり挙げさせて頂きます。
鬱がひどい時、専門学校が設けたカウンセラーに話を聞いてもらっていました。
そのとき父と電話で話した。
父から電話があったのか、僕から電話したのかは覚えていない。
もしかしたら、両親が理解してくれないと嘆き、自分から電話したのかもしれない。
ここは記憶が定かではないので、すみません。
とにかくカウンセラーさんの前で、携帯電話で父と話をした。
色々話したが話の内容は記憶にない。ただやはり最後のやりとりは覚えている。
「せめて本くらいは読んでほしい、知識をつけてほしい」
と言ったら
「本を読んだら治るんか!」
と電話越しにキレられた。
それはカウンセラーさんにも聞こえるくらいで、アドバイスとしては、やはり
「縁を切って、自分のことを考えたほうがいい」
とのことだった。
確かにその通りだし、実際そうなったが、縁を切ったのはそれから何年も後だった。
やはり、親なのだから最終的には理解してくれるだろうと、淡い期待を抱いていた。
いや、もっと的確にいうなら『親に助けさせようとした』。
遅かった、本当に甘かった、もっと早く関係を断つべきだった。
親も人間で、自分より多くの年月を生きているのだから、そう簡単に変わらないのが受け入れるのに時間がかかりすぎた。
いや断言した方がいいかもしれない。
親は10割変わらない。
だって、僕も『鬱病』と診断された時も『癲癇』と診断された時も『発達障害』と診断された時も、いろんな本やセミナーやカウンセリングに行ったりして、知ることはしたが劇的は変化はないのだ。
それはもう、宝くじで1等を当てるような奇跡に縋った自分にも責任がある。
『誰かが、何かが劇的に変えてくれる』と。
次は総括に入りたいと思います。
実は、うちには妹がいますがそれも含めて全部吐こうと思います。
たぶん、妹が一番被害者だと思う。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
それではまた。