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メンタル地獄日記 -毒親総括(まとめ1)-

さて、前回は非常に柔らかく、手加減して、許しているかのように、客観的に両親について語りましたが、毒親についての総括、一旦まとめをやっていきたいと思います。

①子どもの頃に子どもやっていなかった
『毒親も結局は毒親に育てられた』みたいな話はよく聞かれます。
なるほど確かに祖父母(特に母方)は仏教万歳だったし、厳しかった印象が残っている。
母も「優秀な兄とよく比べられた」と、よく僕に言っていた。
だからって知らないし関係ないけれど、要は毒親は満たされなかった子どもがそのまま大きくなったなのだと感じる。
しかも昨今ほど、精神医学が浸透してない上に、日本のお国柄も手伝って本人も僕も分からなかった。
いくら外見が大人であろうと、働いていようと、子ども。
そして自分の子どもに『親の役割』を担わせようとする。
それが僕の親。

事実、僕はいい歳こいた今現在よりも、子どもの頃の方が大人びていた。
スルースキルも今より全然ある。
アンガーマネジメント(と言われているもの)も出来ていた。
クラスメイトに何を言われても『子どもからレベル低い煽りは仕方ないよな』『もっとウィットに富んだ会話ができるやついないのか』などと思っていた。
当たり前だけれども10年くらいしか生きていない子どもができるモノではない。
そして逆に、今現在の大人になった自分の方が本当に子どもっぽい。
こちらが耳を塞いでも、流れてくる日々の芸能人やらの炎上ニュース、政治家の汚職、事件、国際情勢、その他諸々、何より自分の家庭環境。
それらにいちいち、腹を立てムカついている。
キレている。

②親に似てきた
これも同じ『毒親の連鎖』。
母の『ヒステリー』『嘘をついてでも世間体を守りたがる』
は特に色濃く受け継がれたと思う。
ちなみに両親に友達や親戚付き合いないが、僕もいません。
1人だけ大学生の頃から関係が続いている人がいるから0人ではないのだけれど、基本的にはいません。

③断れない、断られるのが怖い
簡単にいうと、自分が断られた時、すごく『拒否された』という気分になる。
そして、自分は自分と似たタイプの人間とよく刹那的な付き合いをすることが多い。
『自分がやられて嫌なことは相手にしてはいけません』ではないけれども、断れない、断らない。
でもそれが当たり前になった関係で、1回でも断ったり、否定というか、それは違うだろう、みたいなことを言うと、相手は僕なら絶対に断らない、否定されないと思っていたのだから『裏切られた気持ち』になり、キレられ関係を断たれる。
そんなことが多々あったし、最近もあった。
そして、逆に自分も同じものを抱えている。

④八方美人
僕は大学生時代、運良く友人関係には恵まれた。
同じ学科の、男女混合9人くらいのグループ。
概ね1回生〜4回生最後までまで仲が良かった(今は連絡とっていないがそんなものだと思っている)。
フリースクール時代もそうだったのだが、僕はよくモノを持って行っていた。
主に読み終わった漫画やゲームなどだが、時にはデパートの大きな紙袋みたいなものに詰めて行ったりもした。
いまこれを書いている地点で恥ずかしいし、そんなもので心象を良くしようとした自分にゾッとしている。
今はそういうことはないけれど、完全な黒歴史だ。

⑤実は相手に興味がない
ある時好きな人ができたらどうなるのか、というのを聞かれたことがありました。
何かのセミナーだったか、就労移行支援だったか、すみません場面は忘れました。
「相手のことを知りたくなる」が答えらしい。
少なくともその時は全会一致でそうだった。

目から鱗でした。
僕は「自分のことを知ってほしい」だ。
ここが間違えていたから、人間関係がよく狂っていたのだ、と初めて思いました。
前にも書いたかもしれませんが、僕の人に対する対応は

・好きな人、興味ある人
自分のことをとにかく知ってほしいから、自分のことばかり話す。
時には相手の言葉を遮ってまで。
『話す:聞く=8 : 2』
くらいだし、なんなら話した内容、相手の言ったことを覚えていないこともある。
忘れっぽいのではなく、一方的に喋ったでもなく、吐き出したという表現が正しい。
だから僕が好きな人とは、恋愛でも友人関係でも長続きしない人が多い。

・嫌いな人、苦手な人
相手に興味がない、嫌いなのだから、相手の話は基本的に「うんうん」と聞く。
意見が間違っていようが、未成年でタバコ吸っていようが、リストカットしてようが「うんうん」「まぁまぁ」と聞く。
どうでもから、心では全く別のことを考えていたりする事すらある。
だから、重要な話をされても、頼み事をされても、自分のキャパシティを超えていたら断るし否定する。
そもそも相手のことなど知らないのだから、キレられて、期待外れの烙印を押されて、終わる。このパターンが多い。
事実割合は、『話す : 聞く= 4:6』くらいで、ほぼ真逆だ。

そしてどっちが相手に好かれやすいのかは一目瞭然。
元々人間は話したい生き物だというし、僕個人も話したがりな一面が大きいです。
それがあまりにも顕著だし、好かれたいならもっと戦略的、論理的に関係を紡いだ方がいいと客観的には思う。
思うのだけれど、その作戦がうまくいったとて、今度は『継続する』という試練が待っている。
結局は、話し上戸になってしまって苦しい思いをする事になる。

少し長くなってしまってしました。
中途半端ですが、ここで一旦の区切りにします。
次もまとめの続きを書こうかと思っています。
ここまで読んでくださってありがとうございます。

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