
赤ん坊のような僕らは
私は球技が苦手である。
走ったり跳んだりするような単純な運動は得意なのに、物を介すると急に駄目になるのだ。特に苦手なのは、野球である。
昨年は大谷選手の活躍に私も夢中になったし、幼い頃に巨人の星を読んで野球にはまっていた時期もある。が、観たり読んだりするのと、実際にやるのとではまったく異なる。
野球ができないことで悩むことになったのは、中学三年生のときである。
当時、体育の授業で希望する種目を選択できることになった。だが残念なことに、殆どの種目が球技であったため、仕方なく足の速さを活かせるサッカーを選んだ。が、いざ体育の選択種目の授業が始まると、体育教師がとんでもないことを言い出した。
「お前ら、野球の方が楽しいだろ? 野球に変えよう」
なんと、サッカーから野球へ勝手に種目を変えてしまったのである。私は先生に抗議した。が、反対したのは私だけであり、到底覆すことができなかった。体育教師はGTOの鬼塚英吉に憧れている男で、彼はいかにカッコよく見られるか、どうやったら生徒たちからの好感度が上がるかを考えていて、こういう突拍子もないことをしでかすきらいがあった。彼の下心も知らずに慕っている生徒は多く存在し、私はいつも呆れていたが、まさかこんな事態になるとは予想もしていなかった。もし野球だと知っていたなら絶対に選ばなかった。私は間違っていない。体育教師をとことん憎んだ。
偽鬼塚にのせられて、野郎どもが「よっしゃー」などとはしゃぎながらグラウンドへ駆けていく。不良男たちが偽鬼塚と話し合い、勝手にチームが決まり、打順やポジションは早い者勝ちといった調子ですぐに試合が始まった。
私は余った守備位置のレフトを守る。すると、なぜかわからないが、私のところにばかりボールが飛んでくる。それとも変な緊張感から私がそう感じただけなのかもしれない。とにかく、自分と物との距離感が掴めない私は、飛んできた球をことごとくキャッチできず、相手に得点を与えまくった。チームメイトを苛つかせ、相手チームにぎゃはぎゃは笑われているのがわかった。
それよりも酷かったのはバッティングだ。ピッチャーが投げた球にバットを当てて遠くへ飛ばす、という行為が私には神業のように思えた。私のバットは、一度も球が当たることがなく、思い切り空を切る。どうして他の人たちはこんな神業を平然とやってのけるのか。空振り三振しかできない私がバッターボックスに入ると、いつも馬鹿にするような野次が飛んだ。
「出たー、大振り男!」
「どうせ三振だから、早くバッターボックスから出ろよー」
「ピッチャー、テキトーに投げていいよー」
「まじ下手すぎてウケる」
ネガティブな情報ほど敏感にキャッチしてしまうものだ。私はバットを握りながら、これらの言葉一つひとつをしっかり耳に刻み付けていた。集中なんてできるはずがない。どうリアクションを取ればよいかわからず、正気を保つことで精一杯だった。
偽鬼塚に目をやる。彼はこの様子をしっかりと目にしながらも、ただ黙って生徒の好きなようにやらせていた。私がどれほど困り、辛い思いをしているのか、考えもせずに。
次第に体育の授業の日が憂鬱になった。前日の夕方から胸が苦しくなり、当日の朝を迎えると、空気が重たく、世界が灰色になったように感じる。何をしていても野球のことが気になってしまう。皆から馬鹿にされる場面が、頭の中で繰り返し再生されるのだ。あの屈辱感に耐えるのは限界だった。
当時の私は学級委員や部長を務めて、様々なリーダーを担っていた。周囲から慕われていたかはわからないが、少なくとも誰かから揶揄されたりすることなど無縁な生活を送っていた。だからこそ、この出来事により、築いてきた立場やアイデンティティが崩壊するように思えた。こんな苦痛を味わうなら、もう学校に行きたくない。何度、登校拒否を考えたことだろう。
ある日の帰宅後、台所で夕食を作っている母に弱音を吐いたことがあった。母は料理の手を止めて、こう言った。
「辛い経験をすると、他人の痛みがわかるようになるんだよ」
期待していたような返答ではなかった。もっと同情してもらえるかと思っていたのに。私は母の言葉に、少し納得がいかなかった。人の痛みがわかったところで何になるんだ。傷つける人たちが有利な世界で、傷つけられる人は、この辛さを耐えなければならないのか? それでは何も報われないではないか。
不満や憤りを感じながらも、その日の夜から、家の庭でバットの素振りを練習するようになった。
バットを構えると、ピッチャーがにやにやして私を見下している。そして、いつもの不愉快な野次が飛び交う。必ず、この場面からイメージを始める。ピッチャーが投げて、物凄いスピードでこちらに球が飛んでくる。いろんなコースを想定して、バットに球を当てる。イメージなのに、簡単には当たらない。殆ど空振りだ。飛ばすところまでをちゃんとイメージできなければ一回とはカウントしない。これを毎日数十回、ひたすら繰り返した。
勿論、すぐに成果は出なかった。体育の授業の度に、醜態を晒し続ける。自己肯定感は低下する一方だった。こんな練習をして何になるだろうと思いながらも、このときの私には、これしか打開策が思いつかなかった。
ついに、体育で最後の選択種目の日を迎えた。この日をどれだけ待ち望んでいたことか。そして、ようやく私にとって最後の打席が回ってくる。いつもの野次が聞こえてきた。もうこれですべてが終わりだ。三振になって恥をかこうが、もうおしまいなんだ。もうどうなってもいい……。
ピッチャーが構え、こちらに向かって投げた。
その刹那に、これまでの苦悩の日々がまるで走馬灯のように蘇った。
やっぱり。絶対に打ちたい。
カコーン!
球はセンターとライトの間に飛んでいく。私は一瞬、信じられず呆然としてしまった。が、すぐに我に返り、急いで一塁へ走り出した。初めてのヒットだった。
グラウンドが静まり返っている。野次を飛ばしていた不良どもが驚いて黙り込んでいたのだ。私は無表情のまま、心の中で小さくガッツポーズを決めた。偽鬼塚は調子よく私に笑顔を向けてきたので、心の中で控えめに中指を立てた。
他の生徒からすれば、大したことではないのかもしれない。授業が終われば忘れてしまうくらい些細なことだろう。しかし、私にとっては生涯忘れられない瞬間だった。カタルシスという言葉では足りない。あの一打で、灰色になった世界に鮮やかな色が付いた。これまでの苦しかった日々、無意味にも思えた練習、すべてが報われたように感じた。
そして、母がかけてくれた言葉の意味が、少しわかった気がした。
皆、それぞれ痛みを抱えながら、他人には見せない努力をして、必死に生きているのだ。今回の私のように。きっと、あの不良たちも、体育教師も、クラスメイトも、そして母も。
そう考えると、誰もが弱くて尊い存在に思える。人間が愛しくなる。まるで赤ん坊のようだ。そう、私たちは生まれたときから変わらずに、ひたむきに生き続けているのだ。それぞれの方法で試行錯誤しながら。
他人の痛みがわかるようになることは、愛することを知ることなのかもしれない。
それを教えてくれた母に感謝し、今度は私が子どもたちや周囲の困っている人へ伝えていきたいと思うのである。
繋いでいく、バトンのように。