温故知新(68)釈迦牟尼 ブッダガヤの大菩提寺 ミタン二王国 ハッラーン アンコール・ワット ルンビニ クシナガラ バガン ボロブドゥール スケリッグ・マイケル 須弥山 ラサ スサ 武当山 摩耶山天上寺 法道仙人 空海 慈尊院 高野山奥之院
「釈迦牟尼」は、サンスクリットのシャーキヤムニで「シャーキヤ族の聖者」という意味の尊称で、略して「釈迦」と呼ばれるようになり、ブッダ(buddha、仏陀)は、サンスクリットの「目覚める」を意味するブドゥ(budh)に由来し、「目覚めた人」という意味だそうです(wikipedia 釈迦)。茨城県牛久市にある牛久大仏(写真トップ)の胸の内部に展示されている釈迦の生涯のパネルを見て、釈迦(仏陀)の四大聖地などを知り、レイラインの指標とされている場所との関係を調べてみました。
四大聖地の1つの「ブッダガヤの大菩提寺(Mahabodhi Temple)」と高天原やエデンと関係があると推定されるクサール・ヌアイラを結ぶラインの近くには、フルリ人のミタンニ(Mitanni)王国の首都ではないかとされるテル・エル・ファハリヤ遺跡(Tell Fecheriye)や高天原の名前の由来ともいわれるハッラーンがあります(図1)。釈迦牟尼は、弘法大師空海と同じくフルリ人と関係があるのかもしれません。
カンボジアのアンコール・ワットとクサール・ヌアイラを結ぶラインは、「ブッダガヤの大菩提寺」の比較的近くを通り、オリンポス山とバールベックと結ぶレイラインの近くにある古代都市ファセリス(Phaselis Ancient City)やアトランティスと関係があると推定されているサントリーニ島にある古代ティラ遺跡などの近くを通ります(図2、3)。
ブッダガヤを嵐が襲った際、釈迦の体に7回巻きついて守ったのが、ムチリンダ龍王で、その後、人間の姿になり、ブッダに帰依したといわれます。釈迦が瞑想を行っていた菩提樹は、その形から「トトロの木」と呼ばれているようです。山形県鮭川村にも「トトロの木」と呼ばれる御神木(天然杉)があります。クサール・ヌアイラと神津島を結ぶレイライン上にある「剱地権現岩」(石川県輪島市)は「トトロ岩」と呼ばれています。レイラインの指標となっている権現岳(山梨県北杜市)も、双耳峰(そうじほう)で、筑波山と同様に古くから信仰の対象となってきました。権現岳(北杜市)とシラクサを結ぶラインの近くに、立山寺(富山県中新川郡上市町)や剱地権現岩(トトロ岩)があります(図4)。トトロ岩の左耳は、2024年1月の能登半島地震で残念ながら折れてしまったようです(中日新聞2024年1月12日)。
クサール・ヌアイラとムチリンダ龍王の居たブッダガヤを結ぶラインがドラゴンライン(龍脈)とすると、「トトロ」は「龍」で、「耳」は「角」を表しているのかもしれません。宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』のハクの本来の姿は龍神「ニギハヤミコハクヌシ」で、『となりのトトロ』の「トトロ」は、太古の昔に人間に滅ぼされた「トトロ族」がモデルのようです。「トトロ族」が、角田遺跡出土の弥生式土器に描かれた線刻絵画の人々と関係があるとすると、「耳」はオシリスの冠と関係があるかもしれません。そうすると、「トトロ」は「龍」と「兎」の合成獣(キメラ、グリフィン)かもしれません。宮崎姓には、竹内宿禰を祖とする紀氏に由来する氏族もいるようです。渡来系氏族の宮崎姓も多いことから、主要な縄文・弥生系氏族だったと思われます。
アンコール・ワットや、インドネシアのボロブドゥール(Borobudur)とともに、世界三大仏教遺跡のひとつと称されるミャンマーのバガン(Bagan)とクサール・ヌアイラを結ぶラインは、四大聖地の1つで入滅の地とされるクシナガラ(Kushinagar)や、四大聖地の1つで釈迦生誕の地とされるルンビ二(Lumbini)の近くを通ります(図5、6)。このラインは、チャタル・ヒュユクの近くも通ります(図5)。
インドネシアのジャワ島にあるボロブドゥール寺院とスケリッグ・マイケルを結ぶラインの近くに、ブッダガヤの大菩提寺、クシナガラ、ルンビニがあります(図7)。ボロブドゥール寺院は、世界最大級の仏教寺院(大乗仏教の遺跡)で、ボロブドゥール寺院遺跡群の一部としてユネスコの世界遺産に登録されています。「大乗」はサンスクリットのmahā-yānaの訳で、「偉大な教え・優れた教え」を意味しています。
チベット仏教で須弥山と同一視されるカイラス(Kailash / Kailas)山とブッダガヤの大菩提寺を結ぶラインは、クシナガラの近くを通ります(図8)。チベットにも、日本と同じくY染色体ハプログループD系統が見られます。
釈迦の生母が「摩耶夫人(まやぶにん)」なので、「竺紫の日向の高千穂」と推定される「摩耶山」の由来を検索したところ、空海が摩耶山天上寺に摩耶夫人像を安置したことに由来するそうです。摩耶山天上寺は、大化二年(646年)に孝徳天皇の勅願により、インドの高僧法道仙人によって開創されました。法道仙人は、6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、牛頭天王と共に日本へと渡ってきたとされ、牛頭天王は姫路市にある広峯神社に祀られ、その後、八坂神社中の座に祀られたとされています。
摩耶山とブッダガヤの大菩提寺を結ぶラインの近くには、豊玉姫命と関係があると推定される武当山(太和山 Wudang Mountain)があり(図9)、このラインの近くには、備中国総社宮(岡山県総社市)や、天ノ岩座神宮(広島県安芸高田市)があります(図10)。
摩耶山とチベット仏教の聖地ラサを結ぶラインの延長線付近には、ロータル遺跡があります(図11)。また、須佐之男命(孝霊天皇と推定)や関聖帝君(関羽)と関係があると推定されるスサ(Shush)とラサを結ぶラインの近くにカイラス山があります(図11)。法道仙人は、ラサから渡来したのかもしれません。ロータル博物館とスサを結ぶラインの延長線の近くには、古代ティラ遺跡やシラクサがあります。琉球王のY染色体ハプログループは、天皇家と同じD系統ですが、スサと沖縄市を結ぶラインは武当山の近くを通ります。
摩耶山とロータル博物館を結ぶラインの近くには、高砂神社(兵庫県高砂市)、星神社(岡山市北区)、志都岩屋神社(島根県邑智郡邑南町)があります(図12)。
「マーヤー(Māyā)」は、近年の学説では、母を意味するmātāの俗語形であって「摩耶」は本名ではない、ともされています。摩耶山天上寺は、久志玉比古神(櫛玉饒速日命)と后の御炊屋姫命(櫛玉姫命)を祀る矢田坐久志玉比古神社(奈良県大和郡山市)とレイラインでつながっていますが、摩耶山天上寺 摩耶夫人堂と高野山奥之院を結ぶライン上には、空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)の廟堂の慈尊院 本堂(弥勒堂)があります(図13)。
ネット上には、備前焼(伊部焼)の置物の釈迦像、卑弥呼(木花之佐久夜毘売)像(元は卑弥呼 邪馬台国と記載されて売られていたもののようです)、聖徳太子立像、厩戸皇子像(7才と記載されています)などがありますが、当家には、大国主神と習合した大黒天(高さ約270mm)があります(写真1)。
聖徳太子や釈迦と関係があると推定されるクサール・ヌアイラは、阿波忌部氏と関係があると推定される神津島とレイラインでつながっているので、釈迦牟尼のY染色体ハプログループも、忌部氏や古代の天皇とされた聖徳太子や大国主命と同じD系統ではないかと思われます。丹生氏も羌族と関係があると推定されるのでD系統と思われます。
空海は景行天皇の子孫で、物部氏の祖の宇摩志麻遅命は、孝元天皇と推定されるので、物部氏が排仏派とされたり、物部守屋と聖徳太子が戦ったという話は、比較的新しい渡来系氏族によって創作されたものと思われます。