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開発系修士に行って、開発系機関に行くのをやめた話
学士と修士でアカデミアでの開発畑にいた私が、なぜ開発系機関に就職しなかったのかの話を今回はしようと思います。
その前に、大学に進学する前の私の状況から。
高校生の私
「社会課題」「途上国」にめちゃくちゃ関心ある。特に教育開発など。
フィリピンのスラム街に高校生の時にスタディツアーに参加し、大学で国際協力について勉強することを決意する。
大学生の私
晴れて国際協力×東南アジア地域についての勉強をスタートした私。
国際関係学や政治学、社会学、人類学など様々な学問の視点から社会問題を見つめ、多角的に物事を考える力が身につきました。振り返っても、入学して良かったなと思える大学・学部・学科です。
入学前は「国際協力GOGO!!」みたいな感じかと思っていましたが、講義の中で日本の国際協力機関(JICA)の活動の様子が良い面も、批判されている面も紹介され、「国際協力って、、なんや」と思うようになりました。
そこから開発学のメッカ・サセックス大学の開発学修士課程に進学することを決意。
大学院生の私
一年間学び得たこととして、一番は"Self-determination"(自己決定力)が大事ということ。大学の授業でも、元職員だった方がJICAの介入をよく思っていなかった住民の人と出会った話をされました。要は、「自分の国のことは自分で決める」ということ。これには正直、「援助してあげる」香りが強い、開発系機関にアプライすることに疑問を抱かざるを得ませんでした*。
*もちろん、緊急人道援助など、国際機関やその系統の機構が動くことが望まれる場合もあります。そのためあくまで個人的見解とします
そして、専攻が環境に関連していることもあり、講義を受けていく中で環境汚染にはビジネスが大きく関わっているということが大きかったです。
講義の中で日本も加害者側として扱われることに新鮮味を覚えたことを思い出します。そこで、日本の企業に対して環境意識・サステナビリティ意識の醸成をすることや、ビジネスモデルの刷新をアプローチできないかと思い、就職活動を国際協力機関を第一志望とすることをやめ、コンサルティングの業種を検討し始めました。
結論、社会課題解決はどんな企業にいても携わることができると考えています。
要は、どんな人に、どんな層に、どこからアプローチがしたいか。そこが働き方や働く環境を選ぶ基準ではないでしょうか。
もちろん私の友人や同窓の友達は国際協力系の機関に就職した人もいます。彼女らはとても勇気があるなあと尊敬しています。
実際、途上国の現地支援は体力的にも精神的にも自分はやっていけないかもと思ったのが正直な感想でもあります。
10年先、自分が何をしているか分かりませんが、、学生時代の自分と会っても恥ずかしくない姿で、社会をより良くしていると良いなと思います。