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健康生活の原理-活元運動のすすめ by野口晴哉

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野口晴哉の本を小見出し事に書いきました。動画もありの保管庫。
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#健康生活

「愉気」ということー意志に背いて動いてしまう心-3

人間というのは言葉で言う前に、もう嫌いなものは嫌い、いいものはい、心配は心配、不安は不安と感じている。どんなに俺は平気だと思っていても、不安な人がいるとみんなに不安が伝わってくる。そして不安になっている人も、自分では不安になると考えてもいないのに不安になっている。自分が蒼くなって震えようとか、あるいは硬くなってものを言おうととか、そんなことは考えてもいない、けれども不安があればそうなってしまう。 この間も、有名な歌手で長年歌っているから、さぞ舞台度胸がいいだろうと思った

「愉気」ということー動く以前にある「気」-4

ある人がある人のそばに行こうとすると、その人もすっと近づいて来る。それは好きだという事を現している。あべこべに、すっと離れてしまう人がある。 嫌いだと言う、怖いと言う。父親の悪口を平気で言ってる子供がおりました。よく観ているのです。欠点も知っていれば、やることも知っているのですから、怖い理由がない。ところが親父がそばに来ると、ものが言えなくなって脇ばかり向いている。そして離れてしまう。 人間そういう「気」といいますか、心が動く以前に、体を動かす以前に、そういう「気」と

「愉気」ということー間違った健康観-8

ー庇い補えば丈夫になるかー

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「愉気」ということー気の動きで変わる人間の行動ー11

その「気」が、今までの人間研究には全く無視されていて、人間はものとして生活し、1日三度食べなければならないとか、三杯食べればお腹がいっぱいになるとか、栄養物を食べれば栄養が充ちるものだとか思い込んでいるのです。 ところが、お酒を飲んでみると、三杯で陽こともあれば、五杯飲んでも酔わないこともある。この間も、ある人に「どれくらい飲んだか?」と聞いたら、「三合ほどです」という。それにしては肝臓が腫れ過ぎているので、「一体何を三合飲んだか?」と聞いた。三合だと言うから、わたしは日本

「愉気」ということ-類は類をもって集まるー12

生活している人間ということを考えますと、どうしても「気」というものを無視する事は出来ない。そしてその気が有ると無いとでは違う。欲の気の有る人同士が集まると、その人が嫌いでもその気に引かれて話に乗る。食の気の旺盛な人同士だと、ほかのことでは余り面白い話もないのに、食べることになると話がはずむ。 例えば、マグネットなら鉄にしか吸いつかない。だから吸いつけば、そこに鉄があると思うのは常識です。私の銀のライターを持っていました。そのライターにマグネットを当てると吸いつくのです。銀が

「愉気」ということー体の中の自然の働き-13

病気自体は体に中の自然の働きで、体に悪いものがあるから下痢するのです。黴菌が入ると困るから喉が腫れて熱を出すのです。それは大掃除の働きなのです。それを気張って辞めさせようなんて言うのは可笑しい。 どんなに気張っていても、人間は自然に年を取るのです。そういう体の働きに喧嘩をふっかけるのは可笑しいし、まして体に働きである病気に喧嘩を売るのは可笑しい。 妊娠しても9カ月経たないと生まれて来ないのです。それがもし三カ月だったら育たない。早いのがいいのではない。体の自然では妊娠すると一

「愉気」ということー気と気が感応するー気の集注密度ー19

外から気を伝えるとというのではなくて、気と気が感応して、相手の中に元気が湧き起こるのではないだろうか。誰だって元気はあります。今死ぬという人にだって元気はある。だから死にかけている人でも、元気な人が手を当てると共感して、丁度、野次馬になると自分が考えられないようなことをやってしまうように、元気が出てくる。元気が出てくれば、そのまま病気を経過するという可能性だってあるかもしれない。 気の集注密度 ともかく、心をずっと集注してその密度を亢めますと気が亢まってくる。よくなる方向