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【全文無料】卵巣両側残ってる子宮体がんサバイバー、なんです。【人生の真理】


※この記事は全文無料で読めますが、
 疾患や症状、性別に関わる描写があります。
 苦手なかたはご注意ください。



こんにちは、こんばんは。
イラストと生活の知恵のミトシです。


たまに通院の報告をつぶやきでしていますが、
実は「子宮体がんのがんサバイバー」です。

今は完治してから約2年が経過しました。

このがんは初期で完治すれば
5年生存率も高い種類ですが
紆余曲折ありました。

以前にも、私の内面も含め深くお話した記事があります。

今回は内面を浅めに、
広くお話できる部分だけの記事を書き直しています。

人生の振り返りでもあり、
なんとなく「人生の真理」ってこういうことだな
と思ったのもあって、記事にしようと決めました。

この記事では、がんサバイバーとしての経過と
そこからの2年間で私が感じたことをまとめています。

ほぼ全文無料で読めますので
ご安心いただいて読めると思います。



28歳、甲状腺機能亢進症の治療後、異変。

27歳に甲状腺機能亢進症を発症し、
原因不明ながらも治療が終わったのち
28歳の私の体には確かに異変が起きていました。

1ヶ月以上の過長・過多月経があったのです。

男性にはイメージがつきづらいでしょうし、
これだけはっきり言葉として出ると
女性でもショックに感じる状態だと思います。

それまでも月経不順は多かったのですが
28歳の誕生日を迎えて以降、
とうとうおかしくなったとしか感じられませんでした。

レディースクリニックや総合病院なども転々としたり、
29歳の春に精神科で入院もするなかでも
最大3ヶ月半の長さで出血したりしていたのです。

もうどうにもならんのでは、と思い
都内総合S病院にて検査をしたところ
「子宮内膜異形増殖症」の診断がくだりました。

内膜という組織のなかに、
悪性の組織が増殖している疾患です。
はっきり言えば「がん0期」でもあります。

ここでも太っていた私は病院をたらい回しになり、
泣きながら現在の都内B病院に転院したのは
8月の夏の苦い思い出です。

産科で有名な総合S病院の
幸せそうな妊婦さんに紛れてひとり、
20代独身女性が婦人科の症状で診察を待つのは
妊婦さんは悪くないのに心が引き裂かれそうでした。

その後はB病院で温存治療をしたり、
子宮内膜の全面掻爬術(ぜんめんそうはじゅつ)という
検査を兼ねた軽い手術を2回経験したり
そんなこんなで3年以上の月日が経っていました。

結婚適齢期と言われるアラサー女性が
その他もろもろいろいろワケあったとはいえ
パートナーもなく乗り越えるには結構な苦労でした。

(いま思えば、そのときは大変だったな、と言う感じ。)


33歳の1月、とうとう子宮・卵管単純摘出。

ややあって33歳の誕生日を終えて
11月に2度目の全面掻爬術を受け検査したところ
所見がどうにも悪そうだという話に。

パートナーも出産の希望もないため
このまま放っておくより摘出してしまったほうがいい。

そういう判断になりました。

ちょうどB病院に移って4年近く経ったのですが
私がああでもないこうでもないと苦しんでいる間に
B病院の手術室には変化がありました。

内視鏡ロボット「ダ・ヴィンチ」という機械が導入され
肥満の私でも安全に内視鏡手術が受けられる環境が
幸運にも整ったのです。

手術は2023年の1月末に、無事終わりました。

術後入った集中治療室で
近くのベッドの高齢男性が術後せん妄を起こし
ずーーーっと騒いでいたのも、
今となっては一つの思い出になっています。

(いや、当時はその一晩は怖くて眠れなかったけどね。)
(めちゃくちゃでしたよー。看護師さんも困ってたよ。)

本当に幸せなことに予想以上の痛みもなく
合併症などもなく、早期離床も普通にできて
順調に予定通りの退院となりました。

術後初めての食事のアイスクリームが
とても嬉しくて美味しくて、幸せでしかなかったです。


がん組織が発見され、子宮体がん1a期で完治。

もっと幸いだったのが、手術後にがん組織が発見され
「子宮体がん1a期」と呼ばれるごく初期のがんが
完全除去されたことです。

手術自体は「子宮内膜異形増殖症」の診断で
両側の卵巣は残っていたのですが、
改めて摘出する必要もなく経過観察だけで済みました。

本来は子宮体がんでは卵巣も切除なのですが
ごく初期で組織を完全摘出できていたことや
卵巣摘出した場合のホルモンのことを考えれば
このままのほうがいいでしょうとの判断でした。

こうして私は世にも珍しい
「卵巣の残っている子宮がんサバイバー」として
いまも生きているというワケです。

化学療法も放射線治療も使っていないので
その後はとても経過も良く
すんなりと過ごせています。

思えば大変だった時期もありますが
それでも30代前半に手術が無事終わったことから考えても
すごくラッキーで幸福だったなぁと思います。

子宮摘出で悩む患者さんには
内視鏡ロボットのあるないで病院を選ぶのも
ひとつの選択だとは言っておきます。

詳細に「この病院だよ」と言うと
先生方に迷惑がかかることもあるかもしれないので
ご自分で調べていただいて病院を選んでください。


鋼錬で言う「真理の扉」は、開けるものだなぁ。

私は現在35歳のオタクなので、
「鋼の錬金術師」の無印アニメを視聴していた世代です。

主人公のエドは人体錬成によって
弟のアルと共に「真理の扉」と言うものを開くんですが。

その「真理の扉」に似たものを、最近は思うようになりました。

と言っても、手術で臨死的な夢を見たとか
そういうドラマティックな経験ではなく、
日々の生活を続けるなかで見つけるのです。

「真理」とは「生きていること、そのもの」なのだなぁ、と。

例えば飲食店でアルバイトをしていたときなど
「お客さんが喜んでくれる仕事をしよう」と
思っていても、「どうやっても表面上」でした。

そりゃ、めんどくさい作業だってあるし、
仕事に行くのはしんどい。
自分自身の喜びはあまりない。

でも、手術で先生や看護師さんに命を救ってもらって
親身にお世話していただいてから
なんだかこころのなかで、もつれていた糸が解けたのです。

それからはコンビニの店員さんにも
通っている作業所のスタッフさんたちにも
家族にも、ご近所さんにも
なんだか「ひとつの層を超えた感謝」を感じるのです。

それまでしんどくてスルーしていた事柄の
全てのことに「ああ、まぁ、良かったな」と
しみじみした感覚を覚える。

「生きていたから、だ。」

なんだかんだ命を諦めようとしたことも
この疾患以外でも多かった私です。

いままでどこの発信プラットフォームでも触れませんでしたが
私の腕には多数の自傷の傷跡も深く刻まれています。

そういうものについてあまり考えないようにもしていますが
いまはそれも含めて、のどの小骨が取れたように
すんなりと飲み干しています。


生きていること、そのものの、不思議と。

普通に、表面上で「生きていることは大事なことだ」と
言えるひとはほとんどだと思います。

というかそうであって欲しいです。

でも、なんというか違くて
「自分が生きていることを理解している」のって
一枚フィルム向こう側の事実なんですよ。

いや、ほかのひとがそれに気づいてないとか
そんなことは思っていないし
実際わかっているひとも多数いるんですけど。

例えば恋人と喧嘩して仲直りしたり、
子供が急に発熱して病院へ駆け込んだり、
年老いた両親と晩酌しながら語り合ったり。

そう言う「日常」のなかにこそ、「そのままの真理」が隠れている。

「生きていること」って「そのまま」でいいんです。

特別なことがなくたって、「それも真理」なんです。

(スピリチュアルに言ってるワケじゃないけどね。)


別に誰かに感謝を感じる必要もないです。

いまつらいとか、しんどいとかも、あるかもしれないです。

年齢や体験を乗り越えると、見えやすくなるんだと思う。

「自分が生きている不思議」に
そのものに飛び込んで、続けて生きていく。

そしていつか、それと同等に死んでいく。

それが、「人生の真理」なんだと思います。


私はいま、幸せです。




今回はこれで終わります。

ここまでご精読誠にありがとうございます。
ひとり語りに付き合っていただいて感謝しています。

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お心づけをいただければ嬉しいです。

後の部分は蛇足の感謝の言葉です。

またお会いしましょうね。
イラストと生活の知恵のミトシでした!



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