馬伯庸『両京十五日 Ⅰ 凶兆』 南京から北京へ、決死行を描く「歴史冒険小説」の傑作
記念すべきハヤカワ・ミステリ2000番は、『長安二十四時』『三国機密』の原作者による、歴史冒険小説の傑作。十五世紀の明を舞台に、皇位を狙う巨大な陰謀に巻き込まれた皇太子が、たった三人の仲間と共に南京から北京までわずか十五日間で向かう姿を描く、一大スペクタクルです。
時は1425年、明の第四代皇帝・洪煕帝の時代――北平(北京)から金陵(南京)への遷都が計画される中、南京に遣わされた皇太子・朱瞻基の船が、南京に到着したところで大爆発。船の乗員のみならず、岸に出迎えに来ていた役人たちの多くが爆発に巻き込まれ、無数の死傷者が出るのでした。
偶然、船尾にいたことで川に吹き飛ばされた朱瞻基を助けたのは、南京一番の捕吏・呉不平――の不肖の息子であり、ろくでなしのドラ息子の呉定縁。相手の正体に気付かない呉定縁によって、爆破事件の容疑者として取り押さえられた朱瞻基は、下級官僚の于謙が気付いたことでようやく解放されたものの、再び何者かの襲撃を受けることになります。
于謙に助けられて逃れる朱瞻基ですが、敵がどれだけいるのか、味方が誰なのか、全くわからない状態。再度の襲撃を予見していた呉定縁を仲間に加えた二人ですが、やがて南京の禁軍を指揮する朱卜花までが敵に回っていることが判明するのでした。
手元に届いた密書により、北京でも異変が起きていることを知り、十五日以内に北京に帰って謎の敵の企てを暴かなければ、父の命が危ないことを悟った朱瞻基。
朱卜花に深い恨みを持つ女医・蘇荊渓を仲間に加え、南京脱出を目指す一行ですが、その前には禁軍に加え、敵に協力する白蓮教の妖人が立ち塞がります。孤立無援の状況で、絶望的な逃避行を繰り広げる一行の運命は……
というわけで、明代の南京で大規模な爆破テロが発生という、ド派手かつ大胆な発端(にしても『長安二十四時』といい、作者は爆破テロを題材にすると輝くのかもしれません)に始まり、周囲の全てが敵となった中を、皇太子とわずか三人の仲間たちが決死行を繰り広げる本作。
とにかく始まってから一瞬たりとて止まることなく、危機また危機の連続で――それがまた、一つとして同じものがないためにダレることがない――一気呵成に物語は進んでいくという、まさに一読巻措く能わざるとは本作を指すためにあると言いたくなる物語です。
そしてその物語展開と同時に感心させられるのは、主人公たちの人物造形であります。
戦場経験もあり、決して単なるお坊っちゃんではないものの、しかしやはり世間知らずで一行の足をひっぱりがちな朱瞻基。
科挙に合格しながら、あまりに剛直な物言いを疎まれて左遷された官吏であり、一行唯一の常識人だが頭の固い于謙。
腕利きの父にも似ず、酒浸りで遊郭に出入りする皮肉屋のろくでなし――でありながら実は切れ者で南京の裏の世界に通じた呉定縁。
医術に加えて人間の心理にも通じた優秀な女医である一方で、親友の仇討ちのためには別人のような苛烈さを見せる蘇荊渓。
生まれも育ちも性格も全く異なる、この事件がなければ決して出会うことがなかった四人が、生き延びるためにやむを得ず手を携え、時にぶつかり、時に協力しながら絆を育んでいく――定番といえば定番ですが、この絶望的な状況だからこそ、その結びつきは一層強く感じられます。
(特に過去に秘密をもつ、やさぐれの切れ者という呉定縁は、誰と絡んでもおいしすぎる、見事なキャラ造形であります)
しかしその物語展開もキャラクターも、歴史ものとしての枠の巧みさがあるからこそ成り立ちます。
本作のタイトルにある両京――北平(北京)と金陵(南京)、二つの都があり、北から南へと遷都が行われようとしているこの時代と、本作の物語は一体不可分であります。
それは単に本作が二つの都の間の旅を描く物語だからではありません。その旅の中で描かれる(そしてそこで朱瞻基が学んでいく)社会の在り方が、そしてそこで生きる人々の姿が、この物語に必要不可欠な要素として存在し、物語とキャラクターを走らせる原動力として機能しているからなのです。
だからこそ本作は「歴史冒険小説」の傑作と呼ぶにふさわしい――そう感じます。
さて、苦闘の末に南京を脱出し、北京に向かう一行ですが、次々と襲いかかる危難の数々に満身創痍。この巻のラストではついに仲間の一人が――という展開となります。
はたして彼らの運命は、そして物語の結末に何が待つのか!? 完結編である第2巻も近日中にご紹介いたします。