気鋭の歴史家による★新連載『明治天皇は、なぜ伊勢神宮に参拝したのか』…現代も続く南北朝の攻防-その3-
本章は拙著で紹介している3000年毎に襲来する『大洪水』の科学的根拠を明らかにするためです。
紀元前9000年:アトランティス消滅
紀元前6000年:黒海大洪水
紀元前3000年:ノアの洪水
紀元(弥生後期):ツダの洪水
のようにこれまでの大洪水が多くの文書、伝承、遺跡などの物理的証拠が明らかになっています。
その要因(ディープインパクト)はともかく、大洪水が歴史上に繰り返されていることは明らかになりつつあります。
これが、一体何を意味するのでしょうか?
大洪水で海面が激しく上昇し、百年間の単位で変化してきました。
この事実が示すものは、低地にいた人々は(水没した)土地を捨てて新たな天地を求める事しか出来なかったのです。
日本列島の近くで起きたことは、朝鮮半島の南部はもとより低地で洪水によって農業用地を失い、海を渡って大挙して日本列島に押し寄せたという事実です。
現在、日本人のDNAを解析することにより、古墳時代に渡来人の大きな波がやって来たことが明らかになりつつあります(本連載とは別に、改めてご紹介します)。
重要なのは、約2000年くらい前に天変地異(大洪水)によって非常に多くの人々が海路日本列島にやって来たという事実を認識することです。
まずは、大洪水の原因となる一つの可能性、ディープインパクトからのご紹介です。
一、ディープ・インパクト
紀元一世紀頃にディープインパクトと思われる、宇宙から降って来た『塊(かたまり)』とのインパクト(衝突)が発生した。
これが発生した天体力学的メカニズムは、約50年ほど前に高橋実氏によって著された「灼熱の氷惑星」(原書房 1975)によって詳細に解析されている。
氏は東京大学工学部を卒業して逓信省電気試験所に入所。戦後文部省電波物理研究所に入所し、宇宙電離層の研究に従事。「地球の水は多すぎる」という疑問から発して、この水の故郷はどこか、を尋ねて、よく知られた紀元前3000年と言われる『ノアの洪水』を天体力学から解き明かした。
高橋氏の説では、
・3000年の軌道周期を持つ惑星Mが地球に接近髄して『塊』を地球表面に降り注ぐものである。同書に示された『惑星軌道』は、下図のようである。
この惑星の存在を天文学的に検証することは現時点ではほぼ不可能である。地球から最も遠い位置になると、400天文単位(au:地球と太陽の距離を1天文単位とする)の距離にあり、冥王星(図中の最も地球から遠い)が約40天文単位の距離である。我々のよく知る惑星について距離を示したのが下表である。冥王星の10倍以上の遠方にあるのである。
筆者らは紀元1世紀から五世紀にかけての調査の過程で、丁度1世紀を開始時期とする『大洪水』に気付いた。
詳細は略するが、『ノアの洪水』が、紀元前3000年頃、そして紀元一世紀ころの洪水…まさに『3000の間をおいて大洪水が発生』という、『高橋氏の惑星M』説とぴたり一致する。これ以上本書では詳しく述べない(筆者はこの紀元1世紀頃の大洪水について別書にて執筆しており、興味ある方は昨年12月発売の「千年後に迫り来る 大洪水」を参照ください)。
惑星Mの大接近で地球に『塊』(水、砂、氷)が衝突した。
衝突→地震・津波→洪水→海面上昇
という連鎖が生じた。惑星からは水や砂などが地球に供給される、その結果、海面が上昇する。
あくまで『塊』の衝突であり、通常の隕石衝突とは様相を異にしたようである。
(地球の表面・地殻はマントルの上に浮いた状態であり、地球半径の〇・九パーセント程度の厚さしかない(下図参照)。
表面に、液体の水、氷が降り注ぐと地殻上には水が溢れてしまう。しかし時間と共に、地殻の変形により、海面より上にある地上は相対的に上昇するので、徐々に海面上昇は減少し元に戻る。
筆者らの推定では、おおよその海面上昇期間は約200年程度と古代遺跡の調査から推定している。
次図は推定した海面上昇(現在の海面から)の推移の様子を描いたものである。
現代の我々の感覚では俄かに信じがたい事でもあるので、一つの例として、弥生時代の集落形成の高地への移動変化を示しておく。
次は、淡路島北部の淡路市における弥生時代集落の標高調査結果である。
明らかに急激に50m以上の標高に集落が形成されている。
「淡路島埋蔵文化財調査報告書 第一五集 舟木遺跡1」(淡路市教育委員会2020年)から転載し、紀元後年については筆者が加筆した。
明らかに紀元百年を過ぎたころには、50m以上の標高に遺跡数が急増している。同報告書には、
「…V期に内陸部や丘陵部に新たな遺跡が急増する」
としており、明らかに集落の高地への移動が急激に起きた。
ただし、海面上昇は、100年で100mとすると、1年に、1m程度の海面上昇であるので徐々に高地に移ることもあって、低地から集落を移しながら移動したと考えるのが妥当であろう。1日における潮位の変化(満潮・干潮)があるので、1月10㎝程度の変化は小さい。
また高地(現代に比べて)の集落遺跡は西日本各地で見られ、『弥生時代高地性集落』とも呼ばれている(研究会なども開催されている)。
これらの高地にある集落遺跡においても、漁労具や貝塚があることも判明しており、間近に海が存在していたことの表れであろう。下の写真は会下山遺跡(芦屋市三条町)である。山頂付近に遺跡がある。
下が、その会下山遺跡の空中撮影である。
以上、海面上昇がディープ・インパクトによって結果として生じたと推定したが、筆者らはこの『ディープ・インパクト』中心は、現在の日本海では無いかと推定している。但し、この推定の詳細は本書の主題からは直接関係する内容でも無いので、詳細は省く。
最後に、日本の古代史を解明するうえで、『大洪水』の存在を認めない限り、これまでと同様に不毛の議論が延々続いていくことを認識すべきであろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?