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私がカロリー計算と家計簿を断捨離した理由

私は体重の変動があまりないタイプなのですが、それでも生きてると、調子に乗ってお菓子を食べすぎたり、生理前でむくんだりすることもあります。
そうすると、体重が気になったりもするけれど。


それでも、カロリー計算はもうしないと決めている。


10代後半から20代はじめの頃は、カロリー計で体重を管理していたのです。
当時のファッション誌のダイエット特集でも、その方法はよく登場したし、摂取カロリーが消費カロリーを下回るように計算することは理にかなった方法だとも思っていたからです。

その時に私がとった方法は、

・1食の上限は400キロカロリー
・1日の摂取カロリーは1200キロカロリー以内
・チョコ1粒でも食べたものは必ずカウントする
・毎日体重をはかる

基礎代謝分くらいのエネルギーしか摂取していないのだから、当然体重管理は成功しました。が、もともと暴食できないタイプの私がその生活を続けるとこうなりました。

・400キロカロリー超えのものは一切買えない
・自炊は少量の大根まで計量してカロリー計算
・カロリー表記のないお店での外食が苦痛
・一人前の分量があいまいな大皿料理が苦痛
・だんだん、何を食べればいいのか分からなくなった
・拒食症というかほぼ強迫性障害になっていた

暴食できないがゆえに過食や過食嘔吐には移行しなかったし、もともと足腰が骨太傾向なので、病的に細かった期間は運よく短い。

でも、コンビニでお昼を買うときに、415キロカロリーのサンドイッチは何があっても選べないという人生は(395キロカロリーならセーフという謎。その20の差は果たして本当に影響があるのでしょうか…)、ほんとうにほんとうにつまらなかった。

それに、どんどん自分で自分を縛り付けている感じが、とても苦しかったです。

良いスタイルを求めてて始めた体重管理だったのに、管理すること自体が目的にすり替わっていたのでした。

そこから抜け出せたのは、

・ワインをきっかけに美食に目覚めた
・むやみに美食家の元パートナーと出会ってさらに美食に目覚めた
・姿勢よく、適度に筋肉ついた肉体が魅力的だと思うようになった(ローラに憧れて)
・ストレッチトレーナーになって、それを体現できるようになった(宣伝とかじゃなく、本当にこれがきっかけで姿勢改善の仕事してる)

こんな感じで徐々に。気づけば、カロリーを計算せずに生きることができるようになって数年が経ちました。
その後、体重は増えたのか?というと、最低値から8キロ増えて以降、増え続けてはいません。
実は理想よりは1キロほど重いけれど、本当にまったくカロリー制限をしていないので納得の数字です。

カロリーを計算しない代わりにしていることは、

・体が心地いいと感じるものを食べる
・腹八分目の気持ちよさを目安にする
・ジャンクなお菓子は夫との晩酌時にたまに
・自分の体をゴミ箱にしないと決めている

※外食は注文時に可能な限り調整します。「ごはん少な目」だとやや多めで出てくるので、「普通盛りの半分の量」とか具体的に述べるほうが吉。
それでも多いときや調整できないときは、申し訳ないけれど残します。食物も大切な命ですが、自分の肉体を守ることはできるのは自分以外にいないし、その肉体の健康は何百億お金つんでも得られないから。

これらに気をつけることです。
カロリー計算をしないことで、美味しいものを純粋に美味しいと感じながら食べられて、結局太りもせず、QOLは爆上がり。
カロリー計算は断捨離して正解でした。




家計簿をつけていないのも同じような理由です。

つけていたこともあるのですが、そうすると、どんどん何も買えなくなっていく。100円ちょっとのラップ1本ですら、買うべきかどうか悩み始める始末。

物を買う頻度が減るので当然お金は減らないけれど、今買わなくてもどうせ数日以内に買わなきゃいけないラップを買うか悩む時間、もったいないことこの上ない。それに、それで月に数千円のお金が浮いたとしても、そんなのちっとも幸せではない。

それに気が付いて、家計簿をつけるのをやめました。

私はここでもやっぱり暴飲暴食(お金なら散財?)できないタイプなので、家計簿をつけなかったところで急に出費が増えることはありませんでした。
それなのに、ちょっといいみりんを余分な罪悪感なく買うことができて、QOLは爆上がり。

※USJとか流行の服より、ちゃんと作られた調味料にお金を払いたいという価値観なのです…李白のみりんか味の母がオススメ。



暴飲暴食できてしまう人や、衝動買いで散財しちゃう人には、自分の摂取カロリーや支払いを細かく記録して明らかに見ることって、効果的な方法かもしれません。

でも、暴飲暴食・散財をそもそもできない族にとっては、自分の器を縮小して縮こまってしまうだけかも。
少なくとも私は、そうでした。

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