人生というフシギなもの
まさに今、眠れない夜を過ごしている。
眠れなくなったのは、なんのことはない。
いつもの寝る前の空想時間が、いつの間にやら過去の振り返りになっていて、幾年か前の麗しい日々を隅々から思い出してしまったからなのだ。
わたしは社会人になって10年目になるのだけど、新卒で入社した会社を割と早くに辞めてからアルバイトを含めるともう6つも仕事を変えている正真正銘の社会不適合者なのだけど、その全ての日々が今となってはどれひとつとっても美しくかけがえの無いものだった。
ある時は仕事が命といわんばかりに心を燃やしていたし、またある時は何もかも捨てて世捨て人のように田舎町を放浪したりもした。
たった10年の間に、幾人の人と出会って、そして別れてきた。
だからだろうか、10年前がもう何十年も前のような気がするし、学生時代なんてもはや前世のような体感がある。
それぞれのわたしは間違いなくすべてこの捻くれもののわたしだけど、でも、今のわたしとは細胞から全部入れ替わっているくらいに別人のような気もする。
ここ数年はそれくらいに濃い時間を探してきた。途中、異空間に放り投げられていたような期間もある。
異空間に放り投げられる1年前くらい、わたしが仕事に精を出していた頃のことを今日はよく思いだした。
キラキラとした日々だった。
とはいっても、古いオフィスビルの小さな事務所で仕事をしていたので、いわゆるキラキラとしたキャリアウーマンではないのがわたしらしいところで…。
ひとつの机の島がある以外は何も置けない狭さで、壁とイスの間をカニさん歩きしながら移動する、宇宙船みたいな事務所だった。
古いエレベーターと狭いオフィス、9時出社の23時帰りで毎日クタクタ、支社の人数はたったの8人。 キャリアウーマン、なんてキラキラした単語とは結びつかないような野暮ったさの中で駆けた日々がわたしにとっては青春だった。
今夜はあの日々のことをやけに考えてしまう。
おもしろかったやりとり、キュンとしたこと、わたしの20代半ばがあの日々で本当によかったと思いながら、スマホである人の名前を検索してみる。
当時社内で秘密で付き合った人。
友達とずっと馬鹿をする時間がほしいから、ただふざけて遊ぶ時間が欲しいから、だから友達と起業する!!そう意気込んでいた彼。
ものすごく単純で幼くて、だけどとても可愛らしい人。
ふたりで飲んだある夜、本当に自分を理解してくれるひとはこの世界にいない気がする、なんて言いながら寂しい目をしていたこともあった。
検索をかけたスマホの画面には彼の名前と、その上に”代表取締役”という文字が並んでいる。
ちゃんと頑張っているのだなぁと素直に尊敬した。
あの時見せたあの空っぽの目は今はどうなったのだろう、でも、彼のことだから隣にはいつも女の子がいるのかもしれないなぁ。なんて考える。
ただ、とにかく彼の情熱はまだ消えていないのだろう。
わたしが一番惹かれた人、どうしようもなく単純で真っ直ぐて、だけどどこか臆病なあの人は今も現役でこの世界で生きている。
この妙な気分をどう言葉にあらわしたらいいのだろう。
本当にあった出来事なのか曖昧になるほど、色んな旅路を経て、わたしはあれから別人になってしまったけど、あの時一緒に過ごした彼はやっぱりこの世界にちゃんといた。
ちょっとせつなくて、キューっと心が縮むような変な感覚だけど、嫌では無い、むしろとてもしあわせ。
人生という摩訶不思議なものの味を味わえた気がした。
彼の名前を一通り見ていると、本社勤務していた同い年の女性の名前が関連した記事から出てきた。
わたしは支社勤務だったので職場は違えど、彼女の存在はもちろん知っていたし、何度か本社に行った時に会ったこともある。
特別仲が良かったわけではなくて、むしろどちらかというと苦手なタイプの彼女。
というのも、彼女はキラキラキャリアウーマンそのもの。
愛嬌100パーセントで出来ている、そんな彼女のnoteが出てきた。
最新の記事が1年前になっている。
スクロールすると、彼女の楽しそうな自分語りの文字がnoteの上を踊っている。
相変わらず元気そうだ。
ある記事に、彼女のマタニティフォトが貼られていた。
ああ、もうお母さんなんだなぁ。そりゃそういう歳だよなぁと、時の流れを感じてしまう。
彼女は一緒に働いていた職場を一度辞めていたらしく、一年前にまた出戻りをしていた。
わたしがふらふらしている間に彼女は、退職して、転職して、また出戻って、結婚して、妊娠していた。
そりゃそうか、わたしもその間に転職して退職して、放浪旅をして、セラピストになって、退職して、今だもんなぁ。
しかも今はまた新しい勉強を初めているし、4年もあれば色んなことが変わるよなぁと、しみじみ思った。
スマホ画面の中の彼女は相変わらず愛嬌100%で、変わっていないように見えたけど、だけど彼女にも彼女の道のりがあったのだろう。
今やお母さんで、これからもまた彼女の人生は続いていく、これまでとまったく違った日々が待っているのだと思う。
なんとなく、ある同僚の男の子のことを思い出した。
ただ彼はわたしと似た捻くれ者で、わたしのことをいつもからかってくる鬱陶しい奴だった。
何より一番言われて傷ついたのは、わたしのことを”マルチしそうな危うさがある”と言ってきたことだった。
確かにそう思わせてしまうくらい、わけのわからんことを喋ってたのだろうわたしもわたしだけど、流石にマルチはやめてくれよ…。
過去に言われた言葉の中で一番傷ついた言葉は、その彼のもの。
そんな憎くもあるけど、仲の良かった彼の名前を検索すると、よくわからないラグビー選手が出てきた。
彼はひょろひょろのゴボウみたいなインドアヲタクだから、流石に彼ではないことは一目瞭然だった。
そういえば彼は何もかも嫌になると人間関係を切りたくなるリセット症候群だった。実際今までも何度か完全に連絡先を変えて消してきたことがあると言っていた。
病んでいる時なんかは、時々わたしに相談してきたこともあって可愛いところもたくさんある人だった。
本当は繊細で優しい彼のことを、同士のような感覚でみてしまうこともあった。
もしかして、あれからもう4年も経ってしまったし、ガラスのハートの彼のことだ、心が潰れそうな瞬間もあったんじゃなかろうか。
わたしもリセットされているかも…?
そう思い、すぐにLINEの友達検索機能で彼の名前を検索した。
名前を入力すると、ちゃんと出てきた。
ちゃんと生きてたのか。
そしてリセットされていなかった。
ということは、彼はあれから一度もリセットせずに生きてこられた訳だ。ほっとした。
そのままアイコンをタップすると…。
ん!?
彼に似た幼児の写真だった。
うそーーーーー!!
今年一番驚いた、彼はお父さんになっていた。
確かに彼の面影がある。
リセット症候群のあの、捻くれ者の、いつ消えてもおかしく無いくらい斜に構えていた彼が、あたらしい命を繋いでいた。
彼には大事な人が出来て、守るべきものができたのだなぁとうれしくなった。
そんなこんなをしていたら、もう夜明けだった。
あの頃毎日一緒に過ごした愛すべき人たちとは、今はもう一緒にいない。
あの頃わたしのすべてだった世界は、もうとうの昔に過去になっていて、こうやって回想しないとこの世界のどこにも無いことになってしまう。
だけど、大切だった思い、まもりたかった気持ちは確かにわたしの中に存在していたし、多分これからも消えることはない。
それらのすべての結晶が今のわたしをつくっているのだから。
だから、大丈夫。
安心してわたしはまた新たな人と、いまを過ごせばいい。
あの頃、からかわれて、わらって、落ち込んで、愛された…そんな日々のすべてが、わたしの人生すべてが、ただただ愛おしくなった。