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京都暮らしの半年を写真と言葉で振り返る │ 季節は巡る、大好きな街で。

今年も残すところわずか。京都で暮らし始めて2年が経ち、だけれど、あいかわらず私は京都の街が大好きである。大好きな街で、季節の巡りを暮らしながら味わえることは、何よりも幸せなこと。

あいかわらず、私は京都の街をさまようかのように、歩き回っている。何度も擦り切れるくらい立ち寄った場所、新しく出会った場所。たった半年でも、記憶に残る風景がたくさんある。

2024年後半(7月~12月)の京都暮らしの日常を写真と言葉で振り返ってみた。季節は巡る、大好きな街で。

(2024年前半はこちらのnoteです)


7月 │果てしない伝統が街の風景になる

7月になったとたん、京都の街が祇園祭一色になる。いつも見ているに日常の景色に、1,100年以上前の伝統が溶け合う1ヶ月間。
祇園祭は、鉾を組み立てている様子を観察するのも面白い。京都の細い路地で、少しずつ時間をかけて作り上げている、その過程を眺める。
前祭の巡行。自然と拍手が沸き起こるあたたかな空間を見て、昔の風景もまた、同じだったのだろうかと不思議に思う。
コーヒーかソイラテしか頼まないスタバで、唯一毎年飲んでいる桃。しかも3年連続、祇園祭を見に行った合間に頼んでいる。
下鴨神社の「みたらし祭」に行った。ひんやりとした水に足を浸けて、暑い夏のつかの間の爽やかな感覚を確かめてみる。

8月 │猛烈な暑さの隙間で出会った景色

今年も暑かった。けど、近所のスタバの大きな窓から見える青空が気持ちよくて、暑い中外に出てみてよかった~と思う。
「五条若宮陶器祭」へ。作り手の方と話しながらものを買えるのは市ならではの体験。
あまりにも「鴨川」感が強かった夏の鴨川。この景色を見るためだけに、私は何度でも鴨川に足を運びたい。大好きな街の、大好きな景色。
部屋で寝転がっていると、ちょうど切り取られたように青空だけ見えるのがお気に入り。仕事の合間に少しだけごろんと横になる。
母も私も大好きな智積院。春夏秋冬、それぞれの季節で何度も訪れているけれど、どの季節にもその季節ならではの美しさを見せてくれる。
「サントリー 天然水のビール工場 京都」の仕込室越しに見える景色が大好き。ここで飲むプレモルが一番おいしい。
夏の伊根へ。あいにく天気はあんまりだったけど、静かでただただそこに在る街並みをゆっくり見られてよかった。
舞鶴で偶然立ち寄った居酒屋「樽屋」のおいしさが忘れられない。絶対絶対また行くと決めている。
ライブ終わり、ビールと濃い味のものを欲していた時に出会った、丸太町にある「鉄板酒場 夷川セカンド」の海鮮やきそば。しらすたっぷりでめちゃくちゃおいしかった記憶…!

9月 │散歩に行きたい、と願う日々

9月に入ってもまだまだ夏の空。暑い京都だけれど、「あまりにも夏」といった京都の街の風景がたまらない。
「青蓮院」へ。夏の爽やかな木漏れ日は、ずっと見ていられる。風がそよぐたびに影も揺らめく。
少しずつ、夏から秋へ季節は巡る。木陰に入ると少しだけ涼しく感じるのが9月、って感じだ。
ずーっと食べたかった「hara」のラザニア。一口ひとくち美味しさを噛み締めながらの、贅沢なひととき。
小指の骨を折ってあんなにも大好きな散歩が2週間以上できなくて悲しかった。本ばかり読んでいた。
五条大橋のすぐ近くにある「2éme MAISON」へ。空間がたまらなく好みでうっとり。
「2éme MAISON」でいただいたミックスランチ。
9月後半になると明らかに秋の風がただよってきた。初めて最高気温が30℃まで下がった時、朝一で梅小路公園へ行ったあの軽やかさを忘れたくない。
糺の森で行われていた「京都博覧会」へ。かわいらしいハンドメイドグッズや骨とう品が並んでいて、眺めているだけでも楽しい。

10月 │愛おしい季節をさまよって


真っ赤な夕日からスタートした10月。大好きな季節では、なるべくたくさんの空を見上げていたい。
「京都音楽博覧会」へ。最高な秋晴れのなか、音楽を聴いたりビールを飲んだり。ふわふわとただよいながら大好きな音楽が聴けるのが、フェスのよいところ。
音博の帰りに立ち寄った「天下一品」。ライブの余韻に浸りながら食べるラーメンはなんでこんなにもおいしいのだろう。
ようやく秋らしくなってきた、10月の梅小路公園。相変わらず木漏れ日が美しくて、つい目を細めてその様子を眺めてしまう。
今年読んだ本の中でも上位で面白かった、滝口悠生さんの「長い一日」。心地いい風が吹き抜ける公園で少しずつ読んでいた。
西本願寺のイチョウの木を観察。黄色に染まる前の姿を目に焼き付けておくと、より一層見頃を迎えた風景を美しく感じられる。
西本願寺の唐門前に咲く金木犀。ひっそりと静かに咲きはじめ、気づけば花を落としていた。金木犀はあっというまで少し物寂しい。

11月 │好きな街の好きな風景を追いかける

さて、11月も相変わらず梅小路公園で過ごす。本を読んだりお弁当を食べたりストレッチしたり。自由に気ままに過ごすのである。
これでもか、というほどに天気のいい日は、やっぱり鴨川デルタに足を運びたくなる。
鴨川は鴨川でも、私は荒神橋から見える鴨川が一番好き。北の山々のくっきりとした稜線がたまらない。
病院での検査後にいつも立ち寄る「カリル」。月替わりのカレーがおいしいから、毎月病院へ行くのを頑張れる。
夫とはじめて会った時に行った「ItalGabon」に、2年越しに再び訪れた。その時のことを思い出して少しだけむず痒かった。
西陣にある「妙覺寺」の紅葉が美しくてたまらなかった。何層も重なり合う赤の風景が目の前に飛び込む。
いろんな視点でいろんな見え方で風景を眺めようとすると、日々が少しだけ楽しくなる。
同じく西陣にある「妙覚寺」。紅葉シーズンの土曜だったのに人が全然いなくて、意外と京都は場所を選べばのんびり過ごせるんだよなぁということを思い知る。
影にわけもなく惹かれる。なぜなんだろう。さりげなくどこかにうっすらと描かれた影に。
妙心寺近くにある「法金剛寺」へ。朝一、自転車を走らせて向かったら、誰一人いなくて。別世界に迷い込んだかのような風景が広がっていた。
池に反転する紅葉の景色が、あまりにも記憶に残っている。波紋ができるたびに、目の前の風景も揺らめく。不思議な世界。
あぁ、誰にも教えたくない大好きな場所に出会えた。心にモヤモヤが生じた時には必ずここへ来ようと、思ってしまうほど。
梅小路公園のライトアップへ。風のない日だったから、目に見える風景すべてが反転していて、あまりの完璧な景色に少し怖さを覚えたほどだ。
11月はたくさんの時間を鴨川で過ごした。日々移り変わる自然の風景を、余白のある心をもって眺められる豊かさを私は一番気に入っている。

12月 │目の前の風景の移り変わりを知る

12月。西本願寺のイチョウが見頃を迎えていた。ついこないだまで緑だった葉は、明るく迷いのないほどの黄色に染まっていた。
目の前の風景は確実に移り変わる。だから観察をやめられないのだ。
近所に突如現れるメタセコイア並木があることを知った。普段も通る場所なのに、こんなにも変わるものなのか、と驚く。暮らしの中にある景色を少しだけゆっくりと眺めるだけで、新しい出会いをもたらしてくれる。
梅小路公園もすっかり秋模様に。赤、黄色、緑、グラデーションで出来上がる目の前の風景。
1週間もすると、黄色の葉は落ち、モミジはより一層赤の深みを増していた。
毎日のように訪れては、少しずつの移り変わりを観察する日々。梅小路公園にはほんとうにたくさんの風景と出会わせてくれた。
書店でじっくりと本を選び、カフェでコーヒーと甘いものをいただきながら、買ったばかりの本を読む幸せ。
今年は紅葉の見頃が遅かったから、12月なのに視覚があまりにも「秋」だった。体感は冬なのだけど。秋の深まる自然の中で本を読みたい、と少し意地になって読み進める。
今年もクリスマスには「菓子工房Repos」のケーキを3つ食べた。いろんな種類があるからバランスよく食べられるのが嬉しい。

日常はゆっくりと味わうからこそ、美しい

京都での日常は、実に穏やかだ。鴨川や梅小路公園に散歩へ行ったり、公園で本を読んだり。お気に入りのお店に立ち寄ったり。特別なことは何一つしていないのに、なぜだか、すごく日々が愛おしく感じられる。

京都には、四季さまざまな行事やお祭り、季節ごとの風景がある。1年がスーッと一直線で過ぎていくのではなく、それぞれの行事やお祭りを通過することで、1年がある意味長く感じられるのだ。だからこそ、季節の巡りをじっくりと味わおうとするし、季節ごとの行事やお祭りにも足を運びながら京都の伝統を楽しもうとする。

日常はゆっくりと味わうからこそ、美しくなるのではないか。特別なことをしなくても、日々をじっくりと噛みしめながら過ごすこと。それ自体が後になって振り返った時に美しさを放つ。京都での暮らしのよさは、こういった美しさを感じられることかもしれない、と2年経ってようやく思い立つ。

きっと来年も私は大好きな街の風景をたくさん記憶すべく歩き回るだろう。ただそれだけのことだけど、また新しい風景に出会える気がしてならない私がいる。

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misaki|散歩日和
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