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暴力的なまでにひとりだ

当たり前の事をいうが、僕は個人である。
個人というのは、指先から頭のてっぺんから、足の先まですべて輪郭に覆われている。

言わば箱に入っているような状態である。

輪郭は朝や夕方になると強度を増す。朝陽は一人分の影をベッドに置きに来る。暖かさが皮膚にふれてきて、「今・ここ」を否応なく突きつけてくる。
夕陽は一人分の余白を胸に押し付けてくる。ゆっくりとオレンジが川に溶けていって、さよならも言わずに消えていく。
夜はいつも優しい。暗闇のなかでは影がいなくなるから。誰かと自分の境界線が、曖昧になっていくから。

怪獣がふたりを食べるゆめをみた胃酸の海でゆびがふれたの
ミラサカクジラ

それがたまらなく寂しく思う。仮に僕に一卵性の双子がいたとしても、その人と僕は全くの別人なんだから。

僕のなかには僕だけのものとして細胞がみっちり詰まっていて、それは他者とはいくら愛し合っても、共有することができない。

もちろん手を繋いだり、輪郭と輪郭が触れ合うことはあるだろう。ただ、それはあくまで箱を隣に置くような状態だ。


夕焼けにふたり融けあうこともなく暴力的なまでにひとりだ

歯ブラシもコップもふたつあるようにぼくらの魂ふたりぼっちだ
ミラサカクジラ

僕のなかには僕だけのものとしての価値観や、人生観や、死生観があって、それはどれだけ筆舌を尽くしても「本当の意味では」「PCの同期のように」はできない。
生の思考や思想をそのまま転送することは不可能なのだ。

もちろん伝えることはできる。だから僕は創作が好きなんだと思う。自分が個人であることから少しでも逃避したい。箱のなかから、別の箱のなかに必死で「こちらの箱はこんな感じです」と伝えたいんだ。
それから、「そちらはいかがでしょうか?」と受け取りたい。それは文章に限らず、写真や絵も好きだ。誰かをすこしだけ、ほんのすこしだけ知ることができるから。

洗っても洗っても指紋がおちないメガネみたいな心がひとつ
ミラサカクジラ
「遠くから花火の音がきこえる」とあなたが言った希望宣言
ミラサカクジラ
今なんだ今紙の上で吠えまくれそれでも僕ら生きていること
ミラサカクジラ

世界って本当に曖昧で、いくら経済ニュースを見ても新聞を読んでも、分からないままで。その中にいる自分もやっぱり曖昧で、それでも自分の輪郭だけは知っている。

だから自分のレンズから見た世界を切り取って、言葉にしていきたい。
もっともっと書きたい。もっともっと、皆の世界を知りたい。

僕も、誰しも、暴力的なまでに一人だ。
だからこそ、誰かの輪郭が愛おしい。

鳩の骨が標本のように落ちていてあなたの鼓動を聴いている午後
ミラサカクジラ

僕も、誰しも、暴力的なまでに一人だ。
でもきっと、寂しいけれど、これでいいんだ。
千人千色、一億人一億色の世界を、味わうことが出来るのだから。

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