となりの芝生は青いけど
となりの芝生がいつも、いつまでも青い。
息子が不登校になってから、同年代の子どもたちを見ると思うこと。
普通に学校に行けて、1日過ごせて、いいなぁ。
「普通」が何かという議論はあるけれど、子を持つ母として、息子が学校に行かずに毎日家にいるという生活を、やっぱりまだ受け止められないでいます。
息子は、不登校生活が1年を超えて、だいぶ気分が安定してきました。
まだ分離不安は消えないけれど、家の中でも後追いしてくるようなことは減ってきたし、私が家の近くにゴミ出しに行く間くらいなら、家で待てるようにもなってきました。(小3)
家では機嫌良くしているし、ご飯も美味しいとモリモリ食べる。
食べすぎて若干ふくよかだけど。
だけど。
1日中ゲームばかり。
勉強は私が付き添わないとやらない。
(見張るという意味ではなく、横について一緒にやってほしいタイプ)
毎日3食用意しないといけない。
行ける授業があれば付き添わないといけない。
1人の時間がない。
これらが本当にストレスです。
学校に行ってくれさえしたら、給食だけでも食べに行ってくれたら、少しだけでも楽になれるのに。
そんな思いから、毎日学校に通えているお子さんを見ると、条件反射のように羨ましいと思ってしまいます。
それぞれに事情があって、学校に行けていることで万事OKでないことはよくよく分かっている。
それでも今の私は、少しでもいいから息子に学校に行ってほしいと願い、ここ数日はむしろその願いが呪縛になって、自分でもおかしいと思うくらい、学校に行くことに固執してしまっているような気がします。
不登校の子は、自分には合わないことを「合わない」と言える子。
そんな言葉を聞いたことがあります。
息子を見ていると本当にそうだなと納得する反面、小さいころ周りばかり気にしている子だった私からすると、不安でしかない。
そういう思いが頭の中に渦巻いて、今日も働きかけてみる。
だけど、ここ数日は特に、あれもこれもうまくいかない。
うまくいかないと、「こんなに頑張ってるのに成果が出ない」と焦る。
焦ると、見守り寄り添うどころか、命令口調になってしまう。
命令口調であれこれ言われた息子は反発して、私がキレる。
そして泣く。
我ながら完璧な負のスパイラル。
結局は全部、私が安心したくて、私の自己満足のためにやってるだけなのです。
私はこんなに頑張った、ここまでやったよ、って言いたいから、そう言えるだけの成果が目に見える形で表れてほしい。
親が甘やかしているから学校に行かないんじゃないか、って思われたくないから。
息子が不登校になったことで、「息子には息子のペースがあって、本人にあったやり方で進んでいけばいい」と何度も自分に言い聞かせてきました。
でも、周りのペースとズレていく不安、違う道を進むかもしれない不安はそう簡単には消せません。
息子も同じようにできるはずだ、という思いが諦めきれなくて、気づくといつも周りと比較している。
同じようにやらなくちゃいけない、追いつかなくちゃいけない、と思っている自分がいます。
となりの芝生は、いつ見ても青く見える。
でも、羨んでばかりいても、自分の庭の芝生は勝手には育たないから。
だから、自分の庭の様子をしっかり見つめて、必要な肥料と水を与えて大切に育てよう。
結局はここに行きつくのだけど、これからも私は何度も同じことをぐるぐる考えてしまうでしょう。
でも、同じことの繰り返しでも、それで少しずつでも前を向こうという気持ちになれたらいいなと思うのです。
結局は私自身が前を向こうと思えないと、進んでいけないのだから。
明日は、今日より少しだけでも前向きになれますように。