「他者の課題には踏み込まない」アドラー
この言葉は、アドラー哲学について解説されている『嫌われる勇気』に記載されていました。
この本は、自分史上、いちばん読んでよかったと思った自己啓発本になります。
●本のタイトル
嫌われる勇気
●掲載箇所
P.140
●AKERUの感想
「自分の課題と他者の課題を分離する」という考え方は、他人の顔色ばかり気にして生きてきた自分には、衝撃の考え方でした。
こういうのを学校で教えればいいのに…と思います。
例えば、自分は、癇癪持ちの父と悲劇のヒロインの母の不機嫌な態度や揉め事に長らく苦しんできました。
うつ病を発症する前は、そんな親に対して「自分が生まれたことが負担だったんだ」と、自分が生まれたことに罪悪感を抱いていました。
そのため、ビクビクご機嫌を伺って、表向きでは良好な関係を築いている風な行動を心がけていました。(誕生日プレゼントは、後々クレームを言われないように贈っていました。取引先へのお中元的なやつです。)
また、事あるごとに嫌味を言う女上司に対しては、「仕事ができない自分が悪いんだ」と、自分を過度に責めていました。
ですが、アドラーの「課題の分離」という考え方を学んでからは、それらがいかに馬鹿げていたかを知りました。
なぜなら、自分の課題ではないのに、他人が解決すべき課題を自分で背負い込もうとしていたからです。
まず、両親の不仲は、両親がしっかりと話し合って解決すべき問題です。
父親の癇癪についてはアンガーマネジメントを学んだり、もしかしたら肝臓が悪いのが癇癪の原因かもしれないので、しじみの味噌汁をたくさん飲めばよかったんです。
母親の不幸や悲劇についても、母親自身で解決すべき問題です。僕の課題ではありません。ましてや五体満足で、戦争のない時代に生まれ、やろうと思えば離婚だって何だってできたはずです。
また、嫌味ばかり言う上司は、自分のことが嫌いなのか、もしくはただ性格が悪いか、イライラしているだけかもしれませんが、いずれにせよ僕の課題ではありません。
その上司が自分のことを嫌う自由もありますし、僕だって、生理的に受け付けなかたったんですよね、その女のこと。(コダックみたいな顔しているんだもの。)
その人の感情はその人のもので、僕の課題じゃないんですよね。
また、「課題の分離」という考え方を知ってから、自分の中の常識や正義感を誰かに押し付けたくなった時に、ふと「あ、自分の課題じゃないんだから口出さない方がいいよね…」と自制するようにしています。
他人の課題は、他人が解決すべき問題なので、ほっておく。
もし手助けを求められたら、助言くらいはしていいかもしれないけど、責任は持たない。
本書では「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」ということわざが紹介されています。
だから、他人のことでいちいち悩むのは馬鹿らしいですよね。
そんなことを気付かされた言葉でした。