掌編小説『瑠璃色の龍』
血液はどこへ流れてゆくの。身体に乗せた文鎮に押し出されて、流れてゆくの。風はあかい海に漣を孕ませる。騒ぐ、騒げ、騒ごう、内なる風がアクセルを踏んで、黄色い産声を掲げる。
入り口はあおい母の産道で
出口もまたあおい母の産道だった
喜びも怒りも哀しみも楽しみも、同じ方角から湧き出して、それぞれのマグカップのなかに、すとん、と収まるのだ。ファミリーパックのスープみたいに、色とりどりできらきら輝いている。ビー玉がかちかち鳴って、毎日、ぶつかり合う。どんなに高価な宝石よりも、ビー玉の群れが好きだった。
『なにいろが好き?きみはなにいろが好き?』
『赤』
『朝焼けも夕焼けも……』
『それは橙色』
『卵焼きも檸檬も……』
『それは黄色』
『カラフルなピカソの絵を見に行こうよ』
『赤も赤以外もあるものね』
『泣く女は青を噛みしめる』
『青の時代からはあおの温度感を教えられるわ』
『やっぱりいろはこころの双眼鏡でくり抜かなくちゃね』
『みんなに赤い血液が流れてるなんて、誰が言い出したの?』
『違うの?』
『わたし、昨夜、瑠璃色の血に塗れた瑠璃色の龍を産んだわ』
『瑠璃色の血って、どんな味がするの?』
『地球のかぜの味』
『喜びと怒りと哀しみと楽しみを混ぜて、四等分した味だね』
『カラフルな炭酸水みたい』
『しゅわっと弾けて、しゅわっと消えてゆく』
きみの瞳を覗きこんだら、澄んだ瑠璃色だった。その地球みたいな瞳の中心に、ちいさな龍が波打っていた。
新しく開店したスーパーには、瑠璃色の林檎が非売品として飾られていた。みんな購入したがっていたけど、店長が『いくら出されても売れません。すみません』と下がり眉でひとり、ひとり、に対応していた。あかい林檎は高く積み上げられて、血液みたいな赤が脳裏に焼き付いてしまった。
しばらくしてきみは『さようなら』も告げずに、突然、引っ越していった。瑠璃色の血を確かめることはとうとうできなかったが、あのスーパーからも瑠璃色の林檎は忽然と消えていた。しょうがなく赤い林檎を買って、ひとりで齧り付いた。
冬の風がドーナツの穴のような部分をすーすーと吹き抜けていった。きみのいない季節は樹木を枯らす乾燥剤のようだった。景色はみるみる枯れ木に変わっていった。クリスマス用の枯れ木のイルミネーションは、孤独を増幅させる。
あの日から、スーパーで赤い林檎を見る度に、ぼくは想い出していた。きみのいない空白を。きみがいたはずの車の助手席を。もう誰も座っていない。あおい地球のクリスマスは、血液みたいなあかと補色のみどり、そして雪のしろが溢れている。どこを探しても、瑠璃色が見あたらない。瑠璃色だけが見あたらない。
『母さん、ぼくを産んだとき、何色の血を流したの』
一度だけ母さんに尋ねたことがある。地球が震えながら、くしゃみをした。木枯らしが吹き荒れて、ぼくの声を掻き消した。かぜの味が口内炎に染みて、きみの瑠璃色の瞳が恋しかった。
+
日曜の昼下がり、いつもの泳ぐ視線を元に修正する。瑠璃色探しを止めて、冷めていたマグカップの中身を一気に飲み干した。ファミリーパックの底の残り物の包みは、同じものが重なってしまう。大好きだった炭酸水は、結婚してからあまり飲まなくなった。
きみのことは忘れていない、いや、きっと忘れられない。何度目かの春夏秋冬。どちらともなく付き合いだした同僚と結婚して、子供もふたり生まれた。まだきみとのことは、家族にも友人にも両親にも話したことがない。
表面上は穏やかな日々。重い石で沈めた過去の記憶は、どんどん圧縮されてゆく。底に沈殿した感情は濃度を増して、それはときどきぼくの水面を揺らしている。きらきら、きらきら、乱反射しながら、光と影がしずかに交差する。
『ねえ、パパは何色が好き?』
『瑠璃色』
いつもよりちょっと長い小説を書きました。長い小説を書く練習をしています。