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『20年後のゴーストワールド』第1章・私のシーモア(11)因果応報

2023年11月23日。
仕事帰りのこと、もう23時は過ぎていた。
吉祥寺駅でライブハウスでたまに会う女の子を見かけた。まだ20代半ばの若く美しい子だ。たしかこの辺に住んでいる子ではなかったはず、何か今日ライブあったっけ?と一瞬、思いをめぐらせた。SNSの相互フォローもしていたし、いつも会って話して感じの良い子なので当たり前のように声をかけようをしたが、心の中で待て、の号令が鳴った。直感的にとても嫌な予感がしたのだ。

その女の子は様子が只事ではなかった。改札に向かって浮き足だっている。身体からキラッキラの光線が溢れ出ていた。足も宙に浮いていたけれど、マスクの下からでも頬が、紅潮している様子が伺えその上の目はこぼれて落ちてしまいそうなくらいうっとりして輝いていた。ただでさえ美しい子なのに、どんな言葉を尽くしても足りないくらい、その子はさらに美しく見えた。

吉祥寺駅の公園口の改札を出てすぐの柱の隅に隠れて、私はその様子を見ていた。あたかも「家政婦は見た」状態で……
もしかしたら……いや……でもそんな……

予感は見事に当たった。
私の好きな人が、改札から出てきた。
私は懲りずにまたバンドマンが好きになっていた。
そのバンドマンがその子の元に現れたのだった。
背中にはギターを背負っている。練習の帰りだろうか。

この時も私の中で心の防御装置が作動した。
柱の隅に隠れて、体勢は完全に家政婦は見たの状態で、目はしっかりとその光景を焼き付けながら、脳にふわふわの白い犬を思い浮かべた。

その宙に浮いた美しい女の子は、バンドマンの背負っていたギターを何故か持ちたがって、背中に背負った。重たいだろうに。それはライブでまだお披露目していない新しく買ったばかりのギターだった。それをいきなり背負っている。衝撃的だった。私は音楽好きが高じてたまにライブイベントの手伝いをやったりすることがあり、そのとき機材の搬入搬出をすることがあるけどそういう時でない限り、なかなか神聖な楽器に触れることはない。

女の子はもともとリュックを背負っていたので、代わりにそのバンドマンがその子の小さいリュックを「交換こ」して背負うという茶番が目の前で繰り広げられた。そして二人は駅の階段を降りていって姿が見えなくなった。バンドマンも今まで私の見たことのない表情をしていた。あんな表情になることあるんだ……彼からも見たことのない光線が出ていた。私はいま何を見せられているのだろう……何なんだろうこれは……脳が全く処理できないまま頭の中ではふわふわでモフモフの白い犬が増え続ける。

柱の隅で私は崩れ落ちて、うずくまってしまった。へなへなという擬態語が今までの人生で一番しっくりくる瞬間だった。
波に打たれたような衝撃に身動きが取れず、ただただ涙が出てきた。

「またか」
と心の中でまた呟いた。
声に出ていたかもしれない。

バンドマンは私より少し歳上で、たまたまわりと近いところに住んでいた。その人は、村井と別れてから、村井のことを忘れられるくらいやっと好きになれた人だった。村井より好きなものを見つけて、この失意のどん底から抜け出さないと私は生きていけない、という念に駆られて新しい畑で色々なものと出会い続けた。ボロボロなのに走り続けた。死にたくならないように。

無理矢理でも見かけだけでも楽しくしていないと、暗闇に覆われて死にたくなってしまう。そういう気持ちに襲われて、逃げ惑ううちにあっという間に長い年月が過ぎていた。新しい畑で面白いものに沢山出会えたし、楽しい時間もあった。しかし、それは一時の気休めで埋まらない心の隙間が広がりすぎて圧迫されていた。心が死ぬなと、ライブや映画や漫画や本、そのとき観たものに感動できていれば、まだ心は死んでないからと面白いカルチャーをカンフル剤として打ち続けていた。

そしてライブで出会った人たちと朝まで飲んで他愛のない話をする。そこでまた知り合いが増える。人と出会い続けるのはせめてものプラスのことだと闇雲に信じて。そこで自分の気持ちを話すことは滅多にない。一人で居ると死にたくなるから、誰かに居てもらったらまだ死なずに済むからそこにいた。でも傷つくのが怖いから、誰かに嫌われるのが怖いから、取り繕ってマシに見せようとしている今の自分よりもまた堕ちてベッドから起き上がれなくなるのが怖いから、自分のことは話せずその場でただ話を合わせている人だった。

私は少しでもマシに生きたいと思って、ボロボロ状態にさらに鞭を打って無意識に破滅に向かっていたのだった。(それを「心の負債」と水野しずさんが最新著作『正直個性論』で論じている)

心の負債とは「自分の心を誤魔化し続けたツケの総額が生む、生きた心地がしない心象風景」のことです。

水野しず『正直個性論』

「心の負債」が雪だるま式に増えていって私は身動きできないところまできていたのだった。痛みを見ないフリをしてマシに見せかけるリボ払いをナチュラルにし続けて自ら首を絞めていたのだった。

村井とそのバンドマンは別に似てないけど、似ているかもしれなかった。その人も歳を重ねてもずっと青い若さを纏っていた。楽曲にもそれが表れていた。たまたま村井と使っているギターも同じだった。

このバンドマンもなかなかにミステリアスな人だった。けっこう前に元彼女と別れていたことは、知り合いづてにたまたま知った。私はそのバンドマンのことが知りたかった。しかし、本人から直接話を聞く以外その術がなかった。やっているバンドは素晴らしいけれど、知る人ぞ知る存在で、バンドのSNSもライブの告知のみの最小限でパーソナルなことまで知るのは困難だった。

作品が素晴らしかったら、それを作った人自身にも興味が湧くのは自然なことだ。私は新たな畑で出会った人たちは、音楽をやっていてもエッセイを書いたり文筆活動もしている方がわりといたので、自然とその人となりはわかってストレスはなかったので、この知りたいのに知ることができない感情は新しいパターンだった。

聴いている音楽が良ければそれが全てで、その作者にまで興味が及ばないという人もたまにいるが、音楽雑誌やラジオのインタビューはそういう人の「知りたい」興味を埋めるために存在してしかるべきものなのだと改めて思う。それが存在することによって自然と大多数の知りたい欲が満たされていたのだった。

好きな人の好きを知って掘り下げたい、ルーツを知りたい、最近好きになったものを知りたい……ガチ恋までいかなくても誰かのファンなら誰しもが思うこと。音楽さえ聴いてくれたら、自分のことなんて別に知ってもらわなくても構わないと、もし謙虚な気持ちでそうしているなら困る。むしろ聴いてもらう音楽のために自分のことを発信するのも大事な活動だ。タイムリーな話だけど、そのバンドマンのXのいいね欄は、大して他人のポストにいいねもしないから量はないけど、ほんの少しでもその人のことを知る大事な手がかりだった。

私は自己開示をすれば、そのバンドマンのことも知れるのではないか、と迷走して好きな楽曲に対しての感想文を書いた風の「知りたい」気持ちを書いた手紙のようなDMを送ったこともある。今思うと顔から火が出てそのまま焼身自殺したいけど、それに対しては投げかけに真摯に受け止め言葉を返してくれた。「知りたい」気持ちだけは伝わったみたいだったけど、実際は熱心なファンとしてたまに曲やギターのことを質問して話すくらいで、全く深い話はできなかった。他人と話してあっという間に得られる情報の十分の一もその人からは得られなかった。向こうからしてみれば単にお客さんの一人として最低限の関わりで接しているに過ぎない。別に向こうは悪くない。特に好かれてもいないということだけを感じ、何もできないまま時間が過ぎていった。もう、熱烈に恋焦がれるほど誰かを好きになるガチ恋はまた死因になるので、好きになり過ぎないようにぼんやり好きだった。しかし、その好きに依存していた。

おじさんにアレコレ言われて、その時ムカッとしてもまだ受け流せていたのは、この「ぼんやりだけど好き」を心の拠り所にしていたからだった。村井以降、ここに至る長い期間、心の底から誰か一人を好きになることができないまま、ぼんやりと好きでそのまま失恋するというのずっと繰り返していた。椅子に座れたら誰でも良い状態に陥っていた。これも心の負債が招いた結果だった。

どうやって家に帰ったか覚えていない。
しかしあの日の寒さは今も身体に染み付いてる。
たまたまあの場に出くわして目撃してしまう自分のギャグ展開に泣きながらみじめで笑ってしまい、そんな自分がつらくて泣くのを繰り返した。今でもスローモーションであの場面が思い浮かべられるくらい、胸に焼き付いている。映画ならどれだけ面白く撮るか力を注ぐシーンだろう。柱からの私の視点がポイントだ。漫画も効果線を多用して、なおかつベタも多用の描きごたえがある場面。あの時の私はどんな顔をしていたのだろう。市原悦子の表情まんまだったのだろうか。

止まらない涙と鼻を噛み過ぎてぼぅとしてきた頭の中で、ずっと森高千里の『気分爽快』が流れていた。どうせ自分には夢物語と思っていたのに「正直ちょっぴりショック」どころか、だいぶショックだった。あの女の子は私が知りたかったこと全部知ることができるんだなあ……

二人のなりそめはわからないけれど、やっぱり40代でも20代に行くんだな、モテる人は特にそうだよな、モテない人でさえ若い人狙ってるって顔に書いてあるもんな……安野モヨコの『後ハッピーマニア』で「40代の男は20代30代とは付き合うけど、同年代の女は選ばない」と気づいたシゲタカヨコのシーンが頭から離れず、この世の真理をガッツリ食らい、私は本当にもう椅子に座ることはできないのだと絶望した。

声に出しては言わないけれどバンドにとって、毎回欠かさず来る全通するような熱心な年長のファンより、重宝されて嬉しいのはたまにくる若い女子のファン。それは村井の現場に居た時から薄々勘づいてはいたことだった。昔の自分に嘲笑われたみたいだった。特大のしっぺ返しを食らった。泣き疲れていつの間にか寝ていた。翌日は休みだったのがまだ救いだった。

目が覚めると胸が押しつぶされるように痛い。目がヒリヒリして思い切り腫れていた。身体が重たいからそのまま一日倒れていようかとも思ったけど、私は導かれるように重い身体を引きずって渋谷へ向かった。そうこの日はもともと映画『ゴーストワールド』のリバイバル上映を観に行く予定だったのだ。

まさか前日にあんなことが起こるとは思わず。昨日の事件が起こるまでは、ただただ今日のこの時をとても楽しみにしていたのだ。ずっと心の中に生きている、メガネのパンクな彼女に会いたかった。

今、この失恋の状態で『ゴーストワールド』を観たら心の傷口にさらに塩を塗り込める最悪な状態になるとはわかっていたけど、最悪な時こそ観なきゃいけない気がした。

そして、話は一度プロローグに戻る。

やっぱり歳を取っても私はイーニドのままだった。
おじさん(重鎮)との微妙な関係も、もうここまで最悪ならとことん私もおじさんにすがってしまおうかと変な気持ちにもなった。完全に冷静さを欠いた気持ちの時に、またこの映画と再会したのもタイミングであった。そして案の定、来るはずのバスに乗ってどこかへ行きたくなった。消えてしまいたかった。久しぶりにイーニドに会えたのに全く成長していない自分に、未だイーニド視点まんまな自分に、終盤何もかもとことん上手くいかなくなって自室のベッドで泣いてるイーニドが前日の自分まんまで、みじめでたまらない気持ちになった。

映画が終わって、泣き過ぎてまたぼんやりしていると友達から連絡がきた。ちょうど映画を観て私は友達のことを思い出していた。私にも同い年のレベッカのような友達がいる。レベッカとは大学からの友人で、二人とも見た目はボブでイーニドだけど。精神性もイーニドだけども、彼女の方がレベッカ的でもある。

私は大学時代、周りは皆社会勉強もかねてアルバイトを当たり前のようにやっていたのに、なるべくなら極限まで働きたくないと思っていて、大学4年生になって突如バイトをはじめるという、行き過ぎたモラトリアム期間を過ごしていた(当時の彼氏ものんびりしていてバイトをやっていなかった、その人は同じ大学の先輩だったのでこの時すでに留年して同じ学年になっていた)この時あたりから「年相応の平均的な普通の生き方」から脱落していったのだった。みんな就活真っ最中の頃に。私は社会に出たくない一心で大学院に進学するという甘ったれだった。心の負債はこの時から増え続けたのかもしれない。大学4年になって初バイトに行く私に、レベッカは「メモ帳と印鑑持っていった方がいいよ」とさらりとアドバイスをくれた。働く意欲が皆無な私はその常識すら知らなかったのだった。あの時教えてもらって良かった。

レベッカとはたまにライブも一緒に行くことがあって、よく会うファン仲間の若い女子から「阿佐ヶ谷姉妹みたいに仲良くていいな」と言われてまんまだな、と思ったり……(年長の女性二人組の例えならPUFFYでもいいのよ、とも思ったけど阿佐ヶ谷姉妹がしっくりくる。自分と同じ年頃の女性二人組ユニットは意外と思い浮かばない)

レベッカはこれから渋谷で用事があるから、その間少しお茶しないかと連絡をくれた。なんてタイミング!今この悲惨な状態で話をできるかはわからないけれど、レベッカに会いたかった。

レベッカの用事の時間まで会えるのは30分くらい。その30分にとても救われた。今でもその時とっさに入って、少しお茶したドトールの豆乳ラテの味が忘れられない。

私は今にもバスに乗って死んでしまいそうだったのに、束の間だけど信じられないくらいほっとできた。レベッカは私の前日のギャグのような衝撃的な話をただただ聞いてくれた。レベッカもその状況なら市原悦子になると言っていた。レベッカには前からそのバンドマンのことが好きなのは話していた。不思議なもので、学生時代よりも大人になってからのほうが素直にレベッカに恋愛の話をしている。

ただこの近年特に、私が心の負債により迷走しすぎて、人物関係が複雑になっていき、レベッカの知らない人やバンドが多数出てきて話の人物相関図が難しくなってきた。私が村井の畑にいた時の人物をレベッカはあまり知らない。前からレベッカには私のモヤモヤした悩みを時折り話していたが、おじさん(重鎮)が出てきたことにより前の畑の話と、失恋したバンドマンのいる今の畑の話など、時系列と人物相関図と私の悩みの説明がわかりにくくなっていた。

レベッカはいつも真剣に話を聞いてくれるのだけど、頭上に明らかにハテナマークが浮かんでいた。

私も自分の心を整理できずモヤモヤしながら話すので、人物・事実・事情・感情がごちゃごちゃになって聞いてる方はさぞかし大変だったと思う。レベッカも私の話にはホワイトボードが必要だと言っていた。私の今まで起こったギャグみたいな事実と苦悩はそれこそホワイトボードか、パワーポイントかを使って整理しながら話すボリュームのあるトークショー『私の心の負債を語る会』を繰り広げないとならないくらい膨れ上がってしまった。

しかしたまに会える時、その時は楽しい話をしたいので、つい私は悩みに蓋をして別の話をするようになってしまった。レベッカが聞いて理解してくれようとするだけでも私にとってはとても救いだった。が、改めて話してみよう思った。

事実や感情に目を背けて、ただ心の隙間を埋める楽しいことだけに目を向けるのは心の負債を増やす一方で、自分の心と向き合うことでしか負債を減らすことはできないとようやく気づいたからだ。このまま遠慮したり自意識過剰なせいで破滅してしまったら、元も子もない。そしてこれを書いている。むしろ破滅したから、いっぺん精神的に死んで幽霊のようになっているから書けているのかもしない。心の負債自己破産状態なのは間違いない。

突然の失恋、でも『ゴーストワールド』を観に渋谷に行ったからレベッカに会えた。神様はいないようで時々いるような気がする。この文章がレベッカに伝わったのなら、それだけでも書いて良かったと思う。

脳内BGM
ジ・エイト『速報』

この曲をはじめて聴いたのは、昨年の12月。「知りたかった」気持ち、結果「何もなかった」状態だった私にストレートに響きました。まさに「知りたい」じゃなくて「知りたかった」なんです。歌詞のもともとの心象風景と、私が感じている風景はきっと全く違うけど、引っかかった言葉がリンクして受け取った先でまた広がって、特別なものになるから歌は面白い。ライブではじめて聴いた瞬間からとても好きな曲です。

ジ・エイト『ファンタジーパンクロック』

ファーストCDがリリースされたばかり!こちらはライブ会場で買ったばかり&サインをいただいたCD。
嬉しさのあまりいきなりCDの帯をなくしました……
「速報」もこちらのアルバムに収録されています!


今回影響を受けた水野しずさんの『正直個性論』は、先日5/19文学フリマ東京38で購入しました。電撃を受けながら一気に読みました。

しずさんにニセの似顔絵を描いてもらった。ボブの毛先から描いていたのが印象的でした。心の負債から身動きできなくなった私の気持ち、本文でいうところの「だし」を個性として、それが自分だけの感情としてこの文章を書き上げたいと思います。

P.S.
2023年11月24日の記録。

その後げっとしたパンフ。冬野梅子さんも寄稿していて好きと好きが交わる世界に胸躍りました。


この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
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連雀ミオ(Mio)
また本を作りたいです。その制作費に使わせていただきます。応援よろしくお願いいたします。

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