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【読書】魅力ある世界の開き方

以前もお話しましたが
本のセレンディピティは
私にとってよくあることです。

必要なときに必要な本が
手元に来る。


昨日、おだんごさんの
記事を読んでから
こんな文章に出逢いました。


傑作というものは、すべてが
相当な醜さを持って生まれてくる。
この醜さは、新しいことを新しい方法で
表現するために、創造者が闘った証しなのだ。

「楽園のカンヴァス」原田マハ 著 より抜粋


もしかしたら私
ズレているかもしれないけれど、
それでこう思いました。


ああ、この文は
今頑張っているおだんごさんに
届けるために
私が出逢った文だ。


それで、この(抜粋の)文章を
おだんごさんに捧ぐ。




こちらの本を読みました。

「楽園のカンヴァス」原田マハ


元はknkさんの記事から
知った本です。

knkさんは
私がnoteを始めた当初から
交流して下さっている方で、

note歴が比較的長くなった今、
もうこんな貴重なお仲間は
ほとんど残っていません。

knkさんに教えて頂いた本の一部を
おだんごさんへ。


noteって本当に面白い。




私の母はよく私を
印象派展へ連れて行きました。

家の中にはマネの
「笛を吹く少年」や
モネの
「ラ・ジャポネーゼ」、
ドガの
「舞台の踊り子」のレプリカが
飾られてありました。


ルノワールの画集は
飽きるほど見せられました。


母の時代の人は
印象派が好きですね。


それで、
私は印象派には幼少期より
いささか飽き飽きしていた。


そんな私が気に入って
一枚の絵のために
同じ美術館に足を運んだのは、

ラファエル前派の
ロセッティの作品である
「愛の杯」

「愛の杯」ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
国立西洋美術館所蔵。



何度も何度も上野にある
国立西洋美術館の常設展に行って、
この絵の前で立ち尽くしていました。


ラファエル前派は
他の画家も好きです。
ロセッティと三角関係にあった
ウィリアム・モリス、
明るい色調のミレイ。

どれも美しい絵本の
挿絵のような画風が魅力です。
まるで空想の世界に
引っ張られる感じ。


絵本の画みたい、と言えば
アルフォンス・マリア・ミュシャも好きで
プラハのミュシャ・ミュージアムまで
わざわざ行きました。
こちらはむしろポスター画家ですね。

もう一つまさに
絵本の画家のようで
お気に入りだったのが、
マリー・ローランサン。


この本に出てくるマリー。
多様な色を使わず
あまり男性を描かなかったマリー。

グループ分けすると
キュビズムに入ります。

キュビズム的な絵は
私、意味不明です。

ダリもミロも
シャガールでさえ訳わかんない。
分かろうとして
頭が痛くなってくる。
頭で考えたらダメなのにね。


だけど、キュビズムの画家で
ロセッティの絵と同じように
その絵に会うために
何度も同じ美術館に
通った絵があります。


キュビズムの巨匠、ピカソの
サルタンバンク。

「サルタンバンク」パプロ・ピカソ
アーティゾン美術館 所蔵



この絵に出逢ったとき
私はまだ未成年でした。
何だか分からないけれど
泣きそうになった。
藤田嗣治が描くように白く、
彫刻みたいに美しい顔。


それで
ストーカーのように
何度も通いました。


パブロ・ピカソ。


こんな叙情性たっぷりの
絵が描ける人が、
なんであんな
へんてこりんな絵を。

と、
ピカソの
「アヴィニヨンの娘たち」を見て
私のように驚愕した人たちが
この本に出てきます。


この本のメインは
アンリ・ルソーですが、
そうね。

こういった絵の出始めは
さぞ大変だったでしょう。


皆、常識に
とらわれているから。


私は本当の意味で
芸術を理解していないんだ、
と思います。

常識をはずれたことを
表現するのが芸術なのに、
そんな世界を見せられると
不穏になる。


本当に優れた
新しいものの出始めは、
決して微弱ではない
反発が起こる。


エッフェル塔の建設当初は
酷評が多かった。


写真機が日本に来たばかりの頃は
「魂が抜かれる」と言われた。


そうやって世界は
変わっていくことを知ったのなら、
今までとは違うことを
受け入れる心の広さも
持っていたいな。

この本を読んで
そう思えました。


好みではなくても
否定しない、そんな程度でも、
そうやってものごとを見たら
また新しい魅力ある世界が
開ける気がする。



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みおいち@着物で日本語教師のワーママ
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