毎日更新のおわり
明日はしれっとサボってしまおうと、毎日思い続けながら、気がつけば、十月の半ばに宣言した毎日更新を達成していました。
毎日続ける、というのは、なんでも大変なものです。
いつもは、書きたいことができたら書く、という書き方なのですが、書くために書きたいことを見つける、というサイクルでしたから、なかなか大変です。
毎日書き続けているプロの作家は、すごいものです。
ひどいものばかり書いた気持ちでいたのですが、いま、こうしてちょっと読み返してみると、すこしは面白いものもあるように思えます。
これなんか、どうでしょう。
一週間ほど前に書いた記事です。
もしかしたらお気に召していただけるかもしれません。
でも、すこし卑しいところがあるので、やっぱり、およしになった方ががいいかもしれません。
じつは下書きに入っていなかったものも、恥ずかしくなって下書きに入っていたことにしてその場で書いているので、どうしようもありません。
自意識を描こうとしながら、自意識に囚われてしまいます。
わたしの記憶だと、もっと哀しいことばかり、書いていたような気がするのですが、あとから読み返すと、思いのほか明るいようです。
反対に、明るく書いたものが暗かったり、しています。
どうも、わたしの記憶というのは当てにならないようです。
自分で書いたものすら忘れてしまうのですから、ほかの人から聞いたことは大半忘れているように思います。きっと、忘れたことも忘れているのでしょうね。
このあいだなんか、知らない女性に、知り合いだと思って道で話しかけてしまいました。「あんた誰」という怪訝な顔をされてから気づき、わたしは、あたかも電話をしているような素振りで逃げ出しました。
ワイヤレスイヤホンが普及している時代で良かったと思います。
つくづく、人の記憶は、あてになりません。
ただ、noteにその日考えたことを記録するようにしてからは、安心して忘れられるような気がしています。
記録の意味は、忘れないことにあるのではなくて、安心して忘れられることにあるのかもしれません。