#ノーベル文学賞 ハン・ガン/「すべての、白いものたちの」を読んでみる
先日、ノーベル文学賞が発表された。韓国の作家、ハン・ガン氏だ。
韓国文学はあまり馴染みがなく3冊ほど読んだ程度だ。
そこで、ミーハーな気持ちでハン・ガン氏の著作を読んでみることにした。
以下は章ごとの感想である。
まずは何も考えずに開いてみる
何も考えずに本を開いてみると、ページに対しての文章の密度から、
この本は詩集だったかなと感じてしまう。それくらい綺麗な本だ。
帯に目をやると以下のように書いてある。一体どんな本なのだろう
1.私
最初は主人公がいるのかどうかもわからなかった。
たくさんの詩が連想ゲームのように積み重なって、少しずつ波紋を描くように物語が進む。いや、進むという表現はあまり適切ではない。
物語という名の液体がじんわりと広がるように、
あるいは透明な空気を吸い込んだときのように、物語が流れていくことがわかる。
この物語はまず主人公の内面を描く。
それは哲学的とは少し異なる慎重さで語られる。
焦って読んではいけないのだと示唆されるように。
主人公がドアを白いペンキで塗る。
このシーンだけで、物語は私の感性を十分に刺激した。
以下は印象に残った一文である。
ドアはおそらく物語のテーマである生命(生と死)を指し示している。
もちろん傷だらけのドアに刷毛を滑らせても、傷ついていることに変わりはない。
2.彼女
三人称になり、すこし起承転結だけがうまれる。
しかし、とても内省的な小説の進み方であることには変わりない。
大きな言葉での説明はない。
ただ心を慎重に描くために、そっと言葉が置かれ続ける。
しかし、大胆であるとも言える。
わたしたちは自分たちが探ったものを信じてしまう傾向にある。
答えが明示的ではない文章のほうが心を掴まれるということだ。
以下は印象に残った一文である。
いや、もしかしたら書き写したい文章かもしれない。
この白く笑うという表現は実感を持ちにくい。
わたしは「"白く笑った"経験があるだろうか」と自分自身に問いかけ、ぎこちなく微笑んだ。
しかし、この"白い笑い"は物語全体の空気を包んでいる。
それは、わたしたちが白く笑った経験がなくても明確に実感できるのである。
3.すべての、白いものたちの
正直に書くと、この物語の全容を捉えた自信はない。
はじめは哲学的とはかけ離れた詩を拡大したような小説だと考えていたが、
だんだんと、その象徴一つ一つが意味を持ち出し、哲学的な内容へと変容していったからである。
生命の細胞を拡大鏡で観察してみると、
それは莫大な規模の宇宙と同じ構造をしているという話をきいたことがある。
その真偽は問題ではない。
この小説に感じたものは、
とても小さい生命を拡大した時にそれはとても大きい生命になるということだ。