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わたしの履歴書(5)やりたいこととできること


会社情報

 業  種:教育機関(オーケストラ事務局)
 職  種:広報
 規  模:約20名
 在籍期間:5か月

これまでの経緯

 公立ミュージアムで1年間限定の学芸員補助の仕事をし、のんびり快適な日々を送っていましたが、阪神淡路大震災で休館に。明日何が起こるか分からない、やはり正社員になろうと一念発起し、オーケストラの広報という職を得たのです。

憧れのオーケストラ広報職

 オーケストラという華やかな世界で仕事ができることが嬉しく、意気揚々と大阪に乗り込みました。久しぶりに持つ名刺には「広報」の肩書が。おお、なんという甘い響き。この名刺があれば、放送局でもどこでも乗り込めると、かつてマスコミ志望だった私は勝利を得た気分でした。

 事務局の同じチームには、オーケストラのマネージャーが2人と常任指揮者のマネージャーが1人、そして広報の私。業務内容はポスター・チラシ・チケット・プログラムの作成、広告の出稿、電話受付、ファンクラブの管理、機関紙の作成や原稿取り、リハーサルの立会い、定期演奏会の準備、コンサートへの同行等々、実に多岐に及びました。

現実は甘くない

 さあ、がんばろう!と思ったものの、広報は素人で、何も分かりません。前任者は退職しており、引継資料もない。他の3人は広報業務に詳しくない。・・・このあたりで、相当難しい仕事であるということに気が付き、うまく開き直ることができればよかったのですが。

 とにかく業務量が多く、何をどうすればいいのか分からないまま走り回る、激務の日々でした。またもや残業は当たり前です。しかも厳しい台所事情のため、残業手当は出ません。
 また、アフターのお付き合いも、もれなくついてきます。通常のコンサートは18時半に始まって21時ごろに終了。その後、オケメンバーと打ち上げ、さらに二次会。コンサート後のハイテンションを持て余し、夜中の3時にボウリング。まさに「コンサートハイ」です。「ハイ」という言葉には、私、つくづく縁があるようです。

 それにしてもオケメンバーのなんというタフさ。クラシック業界って、もっとおとなしく、物静かなものだと思っていました。まぁ、後にドラマ「のだめカンタービレ」を見て、なるほどと納得したのですが。

 通常業務だけでなく、アフターまで真面目に付き合っていると、体力がもちません。週末のコンサートに同行し、代休が取れずそのまま働き続けることもたびたびでした。通勤に1時間以上かかっていたこともあり、体力は限界だったと思います。

 また業務の段取りが分かっていないこともあり、ミスをしては落ち込んでばかりでした。年末恒例の第九コンサートのチラシを慌てて作ることになり、印刷屋さんにずいぶん迷惑をかけたこともありましたし、新人広報はどこまでも頼りなく、デザイナーさんや地方のイベンターさんからひどく怒られたこともありました。

いつしか疲れ果て

 今から思えば、新人なんだから何もできなくても当たり前、と開き直ることができればよかったのですが、失敗してはいけない、とにかくがんばらなくてはいけないと意気込むあまり、いつしか体だけでなく、心も疲弊してゆきました。

 さらに追い打ちをかけたのが、経理担当者の当たりのキツさ。事務局なので、まさにお局様ですね。新人には命令口調になるタイプで、これまでの仕事でそのような扱いを受けたことはなかったので、かなり堪えました。しかしちょっと勤務歴が長いからといって、どうしてそんなに威張るんでしょう。事務局内でも扱いにくい人とされていましたが、金庫番がいなくなると困るので放置状態。
 
 そしてある朝、とうとう起きられなくなりました。

挫折と学びと経験と

 せっかく代打で採用され、憧れの広報の仕事に就いたのに、わずか5か月で辞めることになってしまい、恥ずかしいやら、申し訳ないやら、情けないやら。深い深い挫折感を味わいました。

 ただ、今となれば、様々な貴重な経験をさせていただいたことを、ありがたく思います。広告の出稿や印刷物の作成など、なかなかできることではありませんし、錚々たる指揮者やソリストの方々にお目にかかり、すぐそばでオーケストラの演奏を聴かせていただくことができました。
 経歴としては「黒歴史」なのかもしれませんが、いい経験です。

 興味のあることなら努力も苦にならないということは、これまでの仕事から学びました。でも体力的に難しいこともある。やりたいことと、できること。そしてきちんとした収入を得ること。このバランスにどういった折り合いをつけて、働き生きてゆけばいいのか。それはこの先も大きな課題となるのです。

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