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スウェーデンの民族衣装が欲しい

ある時に

民族衣装が欲しい

そんな一言を呟いたら、織物部屋のお婆さんが

なら自分で作ったら良いじゃない

と物凄く良いこと思い付いたわ!と弾むような声で言うので思わず。

そうするわ。

と答えてしまった。

簡単に作れば?と言うけれども

お婆さんの言う"作れば?"は先ず布を織るところからだったなんて。。

今思えば無謀。

何百もの縦糸を数え 織機の綜絖に通していく。

これだけで数日かかる。

織物部屋のお婆さんに手伝ってもらいながら聞いてみた。この村にはいつから?出身は?

そんな話を今日は忘れないうちに書いておく。

お婆さん

4人目が生まれた時、母親が病気になり入院。もうこれ以上生まないだろうな。と思っていたら更に3人生まれ 家計が苦しくなる。長女であるお婆さんは父に"もうこれ以上子供を作らないでください。"と懇願するも お婆さんが17歳の時、母親が8番目を妊娠。 父に対する 嫌気と家計の為に、妹と二人で家を出ることを決意しUppsala (ウプサラ)へ仕事を探しに(看護師の資格があったので)、そして妹は看護師の学校へ通う。

3年後、現住の村の近くの街にある病院で看護師として働く。そのころ実家から連絡があり"9番目を妊娠した。"とのことで休暇をもらい実家へ戻る。9番目とお婆さんは20歳年の差がある。お婆さんはいまだに 母親の身体を壊したのは父のせいだと思っているそうだ。

その後 お婆さんはこの村に住む男性と出会い 結婚。今の場所に50年ほど住んでいる。

作業しながら聞いていたが

今のスウェーデンとは全く異なる風景だ。でもこれはつい50年前の話。貧困や女性の社会的立場やありかたの違いに驚く。

ひとりの歴史話が好きだから

こういう話はずっと聞いていたくなる。作業の間の小話は見えないスウェーデンがみえてくる。

少しずつこんな話もメモ書きしてこう。

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