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朝活古典:講孟箚記
皆さんは、学生時代に教師から体罰を受けたことがありますか?
体罰が良しとされている時代が本当にあったと思うと、心が痛みます。
僕は、直接殴られたりしたことはありません。
しかし、脅迫を受けたり、用具部屋で尋問を受けたことはあります。
教育に体罰は必要なのでしょうか?
吉田松陰の答えは「NO」です。
松陰が開いた塾には、体罰がありませんでした。
なぜなら、松陰の教育方針の軸は、良き考えに体を浸して、時間がかかっても、少しずつ善の考えに近づけさせることだったからです。
松陰は、朱子という人の涵育薫陶(かんいくくんとう)を引用しています。
簡単に言うとこうです。
涵:水に浸され、しみこんでいくようなこと
育:母が子に乳を与えて育てること
薫:お香を焚いて、香りが充満していくこと
陶:粘土を窯で焼いて、陶器を作ること
人を育てるには、このようにして自然に変化させていくことだと述べています。
中には、悪い子には罰を与えるべきだと考える人がいるでしょう。でも、だから暴力をふるってい良い理由にはなりません。
日本で悪事を働いた場合、法の下で裁かれます。
子は大人を手本とするので、暴力を教えれば、自分の考えと違うものを排除してもいいんだと学習してしまいます。
その責任をとれるのでしょうか?
生き物は、朝に水を与え翌朝には大木にはならないと分かっていても、すぐに成長を期待してしまうところがあります。
でも、長い目で人が人らしく正しく生きられるよう教育することができたら、それで良いのではないでしょうか。