朝活古典:講孟箚記
記事を執筆しているのは、12/28。
「もう4日寝ると〜お正月〜」ですね。
新年を迎えると、僕を含め多くの方が、神社にお詣りに行きます。
なぜ行くのでしょうか?
調べてみると、去年を無事に過ごせた感謝を伝え、新年の無事を願掛けするために行くそうです。
さて、願掛けに関連して、神頼みという言葉があります。吉田松陰は「神頼みをする人は、誠に憐れむべきで、願いは行動した人が叶える」と言っています。
なぜでしょうか?
なぜなら、自分が動かないと、状況が変わらないからです。
吉田松陰は、孟子の一節を引用しています。
どんなに美味しいラーメンが食べたいと願っても、目の前に出てこないですよね。
あっさり系がいいのか、二郎系がいいのか、家でオリジナルを作って食べたいのか。調べて行動すれば、既に願いは叶っています。
僕が大学生の頃、行動して願いを叶えた話をさせてください。
僕が高校生の頃、大学生になったら軽音サークルに入って、 Xjapanの紅を演奏するという夢がありました。
なぜなら、高校の頃は周りで激しい音楽を好んで演奏できる人はいなく、大学には技術のある人がいると考えました。
しかし、自分が入学した大学でも、激しい音楽を好む人はいませんでした。
夢を諦めきれなかった僕は、当時お世話になっていた楽器屋で、大学生になったら出来ると思っていた音楽ができなかったという話をしました。
すると、幸運なことに、他大学の軽音サークルの方が楽器屋さんにいて、話をすると激しい音楽をできる環境なんだとか。
僕はチャンスだと感じ、他大学の軽音サークルの部長に入部をお願いして、入部が決まったのです。勿論、Xjapanの紅を演奏することができました。
願い事は、叶えるための行動が大切なんだと、僕の人生から教わりました。
僕なりの反論
夢が叶っていないのは行動が足りないからという部分は、納得できます。
しかし、「運命は自分が招いた結果」という部分は納得できません。
なぜなら、逆境で生きる人も、自分が招いた結果であるということになってしまうからです。
例えば、複雑な家庭環境で生まれた子、子がほしくてもできない夫婦、若くして難病にかかる人。
皆逆境の運命を願って起きたとは考えにくいです。
「逆境が与えられたからこそ、同じような人を救える存在になれる」と考えると、まだポジティブです。しかし、人生の課題にしては重すぎると思います。