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自分を信じて胸を張り、曲がった背筋を何度でも伸ばしていく

以前「セクシー田中さん」についてnoteに書いたことがある。TVドラマの最終回のラストに不満の声が寄せられているようだけど、私はあのラストこそが「セクシー田中さん」という作品が伝えたいテーマだったと思ったから。それを素直に評価したいし、純粋にあのラストが好きだったから。

昨日思ってもみない出来事が起きた。

その少し前に原作者の芦原妃名子さんが突然ツイート始めたなぁと思って見ていた。脚本家の方が自身の Instagramにドラマの9話10話は原作者が脚本を書いたこと、それが不本意であるような内容を書いていた。それに対する経緯の説明を自分の言葉や自分の責任で伝えたかったんだと思う。最後のツイートも、たまたま見ていた。

ただ悲しい。

この悲しみを人に広げたいとか、人に理解してほしいとか、そんなつもりはない。

だけど、この件について、しっかり見つめないといけない気がする。目を逸らしてはいけないと思う。

「セクシー田中さん」は知らず知らずのうちに植え付けられた大多数の人の常識や普通と思い込まさせられた生き方から脱していく話だ。

何歳になっても好きなことをしていい。
自分の好きにまっすぐ飛び込んでいい。
普通や常識に縛られず自由になっていい。
他の人からどう思われても、自分の好きな自分で居ればいい。
自分が本当に思っていることを伝えていい。

大多数の人が思い込んでいる普通や常識、声が大きくてお金を持っている人たちが強い力を持っているように見える世界の中で、生きづらさを感じている人(私も含まれてる)にとって、そんな自分を笑いながらも寄り添い励ましてくれる優しさと本当の力がある作品だと思う。

TVドラマ化をしたのは、その作品の素晴らしさや意図を理解し、そのメッセージを広く伝えたかったからではなかったのだろうか?

私は弾き語りでカバーを歌う時、特に想いがある曲を歌う時は、その歌を作った人がどんな景色を観て、どんな気持ちで歌を作ったのか理解しようとしながら歌う。なかなかその域には達せないし、自分の技術が追いつかないけど、そういう気持ちで大好きな楽曲や歌を扱いたいと思う。思い入れがあればあるほど、ただ好きなだけで自分が歌っていいのか悩むこともある。歌う時は、その好きが伝わるように、好きを丸出しにして歌う。この歌を、何度も噛み締めて味わって歌えることがしあわせなのだという気持ちで歌うように心がけている。

その歌を歌う私がすごいんじゃなくて、その歌が素晴らしいということが伝わるように歌いたい。私の声や私を通して、そのことが伝わるように。

もちろんそれが最初から出来ていた訳じゃないし、欲深くなっていた頃もあっただろうし、自分をよく見せるようにとか、自分が得するように考えていた時もあったんだとは思う。だけど、どんな時も、いつも、その歌に対する「好き」や「憧れ」の気持ちは忘れていなかったつもりだ。

無意識に人が大事にしているものを踏みにじってしまうことは、きっと誰にでもある。私もしてしまったことがあると自負している。だから、誰かのせいとか、自分に罪はないとか、きっと誰も言えないと思うよ。

誰かを責めるとか自分を守るとかではなく、今できることはきっと、どんなに人から理解されなくても、自分の好きなもの、自分の大切なもの、自分の想いや気持ちを、自分が大切にすることなんじゃないかな。

何があっても、自分を信じて、何度でも、胸を張って曲がった背筋を伸ばしていく。そう「セクシー田中さん」は伝えていた。

自分にどんな過去があっても、どんな悲しみや苦しみがあっても、何度も失敗しても、自分が自分を信じて、どんな自分も愛して、胸を張って、曲がった背筋を伸ばす。

「セクシー田中さん」の原作漫画の最終回は読めなくなってしまったなら、その最終回を、自分が作ればいい。それぞれが自分の大切なものを尊重して生きればいい。誰よりも自分を尊重して、自分の好きを大切にして、それを喜んで生きればいい。

それが精一杯、作品に対して敬意を示すことになるんじゃないだろうか。ということを、私が信じたいと思ってる。

それぞれの純粋に好きなもの、かけがえなく大切なものが大切にされますように。

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よしだみねこ
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