見出し画像

握りしめた手を放して気づいたこと


先日書いたnoteに今までにない反響をいただいて驚いている。書いてみたもののかなり恥ずかしく、「こんなこと書いて大丈夫なのか?」とか「人から嫌われたり見放されるかも知れない」と思いながらも、書かずにいられなかった。それがあんなに評価されるとは。私がずっと自分でダメだと思って禁じてたものが覆されて、今までの概念があっさり崩れた。こんな私でも大丈夫で、恥ずかしいと禁じていたものを見せても大丈夫なんだと思えて嬉しかった。

そしてあのnoteを書いた後、色々感じたこと、気づいたこと、私の体験や経験を通して伝えられることを書いてみたい。評判がよかったから調子に乗って…とかではなくて、今の私が自分の体験を通して感じたことを忘れたくないし、同じようにお金や人に素直に甘えられなくて悩んでいる人の気づきになると嬉しいから。頭ではなく体験で感じた言葉には力があると信じているので。


【握りしめた手を放して気づいたこと】

◯「もう2度とこんな思いを味わいたくない!」と握りしめて忘れないようにした想いは、むしろそれを起点にして何度も味わうことになる。同じ負のパターンを繰り返してしまう。そこに気づくことが大事。

◯自己否定や不安をベースにした精神的な我慢は散財につながる。恐らく無意識に自分の我慢の臨界点に達しないように無駄遣いで発散しているから。

◯精神的な我慢をすればするほど何か変なものに手を出してしまったり、不安や恐怖心にかられて行動すると借金を作ってしまったりする。

◯本当は思っていること、本当は感じていることがあるのに「ダメだろう」と自分で否定して抑圧し、他人や世間や風潮に合わせたことを選ぶと精神的我慢が溜まっていく。

◯自分が本当にエネルギーを注ぎたいものを蔑ろにするとお金も時間も無駄使いしてしまう。本当に注ぎたいものから気が逸れてしまう。自分に素直に行動すると無駄遣いが減る。

◯お金が欲しいんじゃなくて、「この私でいい。どんな自分でも大丈夫なんだ」と心から思える安心感・安らぎが欲しかっただけなのかも知れない。

◯自分を愛せて満足していればそれほどお金を必要としない。

◯自分の意識をどこにフォーカスしているかが試され、実はその意識通りに現実が動いてしまう。その為には自分の思い込みを知ること。どうせ思い込むならいい思い込みをする。

◯自分を不安にさせるのは自分のエゴ。だからといってエゴを切り捨てようとしなくていい。エゴは自分を心配してお節介を焼きまくるメンヘラ気味オカンみたいな存在。エゴは悪者ではなく、心配症で愛情深過ぎる可愛い存在。感謝して安心してもらって味方になってもらおう。


箇条書きですが、世界にお金の無心を発信(ラップか?)したことでザワザワし、友人知人からの振り込みに申し訳無さとありがたさといろんな感情が湧き上がってザワザワする中で感じたことを言語化してみました。

その他、私の場合は

「働くことは苦役。お金は辛い思いをしなければ稼げない」

「自分のやりたいことや好きなことでお金をもらうのは血を吐くような努力と精神力がないとできないし、それでも成功するかわからないリスクを背負って死ぬ気でやらないといけない。そんなの私には無理」

そんなことも思っていた。

もちろん好きなことだけで生活しようとすればある程度の厳しさも必要だとは思うが、今までの私の考えだと好きなことで働く喜びよりも恐怖や苦労にフォーカスがいく。その怖さに耐え切れずに逃げてしまうところがあったんだと思う。

自分が怖いと思っていたこと、自分が禁じていたことから目も心も逸らさずにしっかり観て感じると、怖いと思っていたものがまったく違うものに見えるのかも知れない。

例えば、子どもの頃に犬に噛まれたことがある人はどんな小さな可愛い犬も怖く見えたり、プールで溺れそうになった人はどんな浅瀬でも怖く感じたりするように、強烈に感じた恐怖が自分と一体になってしまうことがあるのかもしれない。感情は自分とは違うのに、自分を守る為に忘れないように必死に握りしめてしまうことが人間にはあるんじゃないかな。

人は突然一気に変わるものではないし、自分で体験しながら少しずつ気づいて変化するものだとは思うけど、今回受け取った気づきは私の人生にとってとても大きかった。苦役は手放して、私の人生を喜んで楽しもうと思えたのだから。

しあわせな人が増えると世界にしあわせが増える。そう思って私の体験談をシェアしてみました。私のそんな喜びが誰かの喜びにつながりますように。

いいなと思ったら応援しよう!

よしだみねこ
サポートほしいです!  よろしくお願いします! お金をもらう為に書いている訳じゃないし、私の好きや感動に忠実に文章を書いていますが、やっぱりサポートしてもらえると嬉しいし、文章を書く励みになります。 もっと喜んで文章や歌にエネルギーを注いでいけますように。