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「ない」から「ある」へ 

今日は休みで、朝からダラダラとXを見ていたら、立て続けにモヤモヤする投稿を見てしまった。わざわざ該当ポストを貼り付けることはしないけど、モヤモヤしたのはこんな投稿内容。

①スタジオにいる先輩アナウンサー3人が、CM中に新人の男性アナウンサーの容姿や服装に対して愛のないイジりを入れてる動画。イジりじゃなくて、イジメやんと感じる言動で胸糞悪い。

②ママ友からの突然のお呼ばれに、お気に入りの駄菓子を持って行ったら嘲笑されたという投稿。しかもそれをSNSで晒されていたのを見てしまったらしい。

たまたま続け様にそんな投稿を見てしまい、非常にモヤモヤした。

何なんだ。何なんだお前らは! 
せっかく容姿端麗でも、せっかくのお金持ちでも、お前ら貧しいんやなっ! 
心が貧しすぎるんじゃ、ボケ!!! 

と、無性に腹が立った。
そして、ひとしきり怒った後に、本当の豊かさとは感性のことを言うのかも知れないなと思った。

どんなに容姿端麗で人が羨むような仕事していても、人を蔑むような人は感性が貧しい。

どんなにお金を持っていて、いい食べ物を食べている人でも、人が気に入ってるお菓子をバカにする人は感性が貧しい。

豊かさって、人が羨むものを持ってるとか、持ってないとかじゃなかったんだ。おかげで目が覚めた。

そしたらふと思い出した。昔、好きだった人と話をしていて、「私には何もないなー」と落ち込み気味で話したら、「1番大切なのは感受性だからね」と言ってくれた。だけど、当時の私にはその意味がよくわからなくて、何でそんなこと言うんだろうと思っていた。あの時、あの人は私に「1番大事なものがあるよ!」と語りかけてくれていたんだな。今頃わかった。

その人とのやりとりの中で、「たぶん言うても訳分からんやろうけど」と言われたことがある。きっと何度もいろんなことを伝えてくれていたのにも関わらず、当時の私はことごとく理解できずに何ひとつ受け取れてなかったんだろう。「たぶん言うても訳分からんやろうけど」と言うまでに、きっと何度かの「言うても伝わらへん」というガッカリした気持ちがあったに違いない。

私は今まで「ない」と思って生きてきた。
持ってない。足りてない。私には何もない。そんな不足感が強くて、「ない」という不安に人生が左右されていた気がする。だけど今、突然それが「ある」に変わった。好きなものがたくさんある。誰に何を言われても、「これが好き」と言えるものがある。誰にも理解されなくても、人気がなくても、私が好きならそれでいいと感じるものがあり、そこに大きな喜びを感じてる。それって、めっちゃ豊かなことやんけ! まったく気づいてなかったかど、私、めちゃくちゃ「ある」人やった。本当にたくさんある! 私にしかわからん好きや喜びがたくさんある! そういうもんがあると、他人のことなんてどうでもよくなって、自分の喜びだけに集中できる。楽しい。嬉しい。

でも、ないと思っていた時の私は、他人のことを気にしてたよ。

先に書いた好きな人のことは、「モテる人すぎて私じゃ無理やからっ! こんな私が好きな気持ちを表に出したら笑われるんちゃうか?」って恐れてた。素直に好きな気持ちを表すことができなくて拗らせてたからこそ、せっかく伝えてくれた言葉の真意を受け取ることができなかったんだろうな。当時の私は心が貧しかったな。結局、誰のことも責められないな。自分が気づくか、気づかないかだけの話やから。

という今日感じたり気づいたことを、リアルタイムでフレッシュなままお届けしました。もしかしたら、私だけでなく、こういう意識の変化を感じてる人がいるかも知れないな。

「ない」から「ある」へ突然意識が変わってしまった。こんなに簡単に変化するとは驚きだ。「ある」っていう意識に溢れた私のこれからが楽しみだ。

「ある」って確信してるだけで豊かさに溢れて、見えてる景色が変わっていく。


今日行ったブックカフェの壁に掲げられてた言葉


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