脱コントロール! わかりはじめたマイレボリューション
最近、私の中でちょっとした革命が起こった。
まさにわかりはじめたマイレボリューション!!
人の期待に思い切り応えない選択をする。
それが私の革命。
これは昔からなんだけど、何となく人が「こうしてほしい」と思っていることを感じとれる時があり、「その人が喜んだり安心するなら…」と、知らず知らずのうちに、なるべくそういう人の意思に応えようとする性質があった。感じとれた時に、その人の思念通りに動いてあげようとするけど、それが溜まるとキツくなって、「それは嫌だ! したくない!」と強く言わないと自分が保てなくなる。そんな風に突然態度が変わるので、周りの人を驚かせたり怖がらせる結果になって落ち込んだりもして。人の念を感じ取りやすいというのかな。常にではないけど、そんな自分の感覚に疲れてしまうことが多かった。
人は本当に思っていることと話している言葉が違うことがある。一致している人の方がもしかしたら少ないのかも知れない。
私の母はそれに当てはまる人だった。何が嫌で何をしてほしくないのか、逆の何が好きで何をしてほしいのか、そういうことを口にしないで無意識にわかってもらおうとする。特に怒ってる時は黙る。コレは母が悪いとか、ダメだとか言いたい訳じゃなくて、女性に割といるタイプだと思う。気づけば私もこのタイプになっていたし。
小学生の頃、私は鍵っ子だった。1年生の頃から。幼稚園の時も家に帰るとひとりのことが多かった。小さな頃からひとりなので、むしろひとりがデフォルトで、人がたくさん居る方が落ち着かない。ひとりの時間が大切で、寂しいから誰かと一緒に居るということがない。むしろ人がたくさん居る方が孤独な気持ちになる。
小さい頃からひとりがまったく寂しくなかったかというとそうではない。ひとりで不安だったり、お腹が空いてもどこに食べるものがあるかわからなかったり、外で遊んでてら池に落ちてヘドロだらけになった時も家に帰っても誰もいなかった。お風呂に入ろうとしたけどお湯の出し方がわからなくて泣きながら水風呂に入ったこともあった。
だけど寂しいとは言わなかった。
共働きで働いている母は家に帰る時によくお土産を買って来てくれた。ケーキだったり、髪留めだったり。そして、こう言うのだ。「寂しくなかった?」と。そう言われて「寂しかった」と言える人は居るのだろうか。私は言えなかった。5〜6歳とかでも。そこで「寂しかった」と言えば母が困るのはわかりきっている。「寂しかった」と言って何か変わったんだろうか。なので、何ともない顔をして「寂しくない」と答えてテレビを見ていた。
小学2年生で交通事故に遭って入院した時、働いていた母はずっと病院で一緒に居てくれて、こんなこと言うのは何だけど嬉しかった。「いつもお母さんがいる」「お兄ちゃんも意地悪しない」「お父さんも優しい」と密かに喜んでいた。顔と足にできた傷なんて何とも思ってなかった。
だけど、その交通事故の保険金を父が使い込んで借金を作った。資金繰りに疲れた母が「あの人がおかしくなったのは、あの子(私)のせいだ」と言った。面と向かってではなくと、電話で親戚にそう話してるのをたまたま聞いただけだけど、それは私の心に深く刻まれた。家族を不幸にしたのは私のせいなんだ。悪いことが起きるのは私のせい。私が事故を喜んでたから。その罰かも知れない。そんな罪悪感を握りしめてしまった。
そうなると余計に自分の感情がわからないまま相手の意向に応えようとばかりしてしまう。だけどそれには無理がある。知らぬ間に無理をして自滅する。気づけば私自身が我慢してる自分の感情や気持ちを人に肩代わりしてもらうというか、自分では自分が何を感じてるのかわからない、自分の感情を感じられない不機嫌な人になっていた。不機嫌な人は、無意識に不機嫌で人をコントロールする。1番タチが悪い。それに気づいてから、少しずつ私は自分の感情や、「本当はどんなことを願っているのか?」を自分に尋ねる時間や癖をつけるようにしていった。本当は誰かに、たぶん幼少期に母に尋ねてもらいたかったことなんだろうけど、自分でやるしかない。そういう経緯があっての自分革命。
その日は仕事で疲れて昼寝からなかなか起き上がることができなかった。グズグズ起きて「夕飯の買い物に行かなきゃ」と思っていたら、すでに母が夕飯の食材を買ってきていて、こう言った。「ナスとエビを煮たやつ作ろうと思って買って来た。でも今から近所の◯◯さんと一緒に散歩するから作っておいてくれへん?」
「はっ?」ってなった。
「お前が作ろうとしてる料理がどんなか、私にわかるとでも?」と思った。恐らく母は、甘い味噌ベースでナスとエビを煮たやつを作ろうと思っているはずだ。しかしその料理の作り方を私は知らない。しかも「自分の作りたい料理ではなく、作り方がよくわからない、人が食べたい料理なんて作りたくない!」と怒りが沸いて「私は作らんで!」と言った。
無理をすれば何とか作れるかもしれない。自分の喜びより、人がしてほしいことや人の喜びを生きるならそうしたらいいのかも知れない。でも、自分が作りたくない、作り方も知らない料理を、母が好む味付けにして作ってくれと当然のように言われることに無性に腹が立った。
作らない宣言をしたものの、夕飯の支度をする時間は過ぎてゆく。料理をしたくない訳じゃない。私の気持ちを無視したコントロールを感じたことが気持ち悪くて嫌なだけだった。
母が思う料理ではなく、同じ食材を使って自分が作りたい料理なら作ってみたいかも…と思い直して、こんなレシピを見つけた。
そして黙々と作った。
人の思惑から外れて、自分が好きなようにやったことで、私はやっとコントロールから抜け出せた気がした。「こうしてほしい」「ああしてほしい」という人の念をわかっても、応えずに自分が好きなようにやる。もしかしたらこの歳でやっと自立できたのかも知れないな。恥ずかしいけど。
ナスとエビのおかずを美味しく食べ終わって、Xを見てたら、たまたまこんなポストを見つけた。
アダルトチルドレンって言葉、何か嫌だと思ってたんだけど、子どもの頃に大人になろうとしすぎた人たちを指すらしい。親に対してだけでなく、知らず知らずのうちに自分よりも人を優先してしまうのもやめていいんだな。
ずっと背負ってきた罪悪感を手放して、私はやっと自分の人生を生きられるのかもしれない。嫌なことには嫌だと言って、したくないことはやらないで、もっと軽やかに無限に選べる自由を喜んで享受しよう。
私はただ優しかっただけなのかもしれない。私は優しかったんだと思ってもいいのかもしれないな。