【病まないは作れる】 病みやすい人と病まない人
「あなたはこの人の何を知ってるんですか?」
これは私が、
精神科で統合失調症の患者さんを担当していた時に
担当バイザーから突きつけられた言葉だ。
もちろん純度100%、
私の “主観でしかないレポート” に問題があったのだが、
断言しよう。
病む人間と病まない人間、
この二種類の人間を分かつ要因は
メンタルの強さでは消してない。
“事実の取り扱い方” によるものだ。
患者を治療する際、
セラピストはまず、目の前の患者を “正しく” 評価する必要がある。
そのためにはカルテを確認して、診断名の他にも教育歴や処方されている薬の種類、病棟での様子など、多岐に渡る情報をまずはかき集める。
その上で、
客観的な “事実” に基づいて、
どこまでが疾患によるものなのか、
薬の副作用によるものなのか、
元来の性格由来のものなのか、
主観的に “考察” をして、適切な治療プログラムを立案する。
勘のいい方ならもうお気づきだろうが、
いわゆる[病みやすい人]というのは、
“客観的な事実” と “主観的な考察” とを混同しているのだ。
たとえば、
「彼(恋人)が自分のことを本当に好きなのかわからないんです…」
という女性がいたとしよう。
たしかに、
少なくとも彼女には “伝わって” いないので、
伝え方を工夫する余地はあるのかもしれない。
しかし、
彼女が “ちゃんと見ていない” 可能性に、今回はフォーカスしたい。
彼女に事情を聞いてみると、
実は、
彼女と恋人である彼は同棲をしていて、
彼は毎晩、彼女よりも遅く帰ってくるのに、
彼女のために手料理を作ってくれていて、
記念日のお祝いはもちろん、
彼女が立ち仕事で大変だから、
毎晩、自分がどれだけ疲れていても、
彼女のマッサージは欠かさずにしてくれていて、
彼女が職場で体調不良だと連絡が来たら、
すぐに迎えに来てくれる。
けれども彼は、
「愛してる」だとか「好き」だという言葉は、
なかなか言ってくれない…。
そんな彼を “客観的に” みたら、
100人中90人は彼は彼女のことが好きなんだろうなと感じるはずなのだ。
何故なら、
好きでもない “他人” のために、
毎日のように手料理をふるまったり、マッサージをしたり、お祝いをしたり、迎えに行ったりなんて行動しないからだ。
でも現実、
彼女は「彼から愛されているかどうか分からない」と感じている。
では何故、
彼女には彼の愛情が伝わっていないのか?
それはやはり、
彼女が客観的な事実と主観的な考察とを混同しているからに他ならない。
言い方を変えるなら、
彼女は[言葉]に重きを置いていて、
彼の[行動]を “当たり前” に捉えている節がある。
勿論、
言葉に重きを置くこと自体は決して悪いことではない。
ただ、
病みフラグが立った時ほど、
客観的な事実と感情を伴う解釈(=考察)をノートにでも書き出して、目に見える形で切り離して整理した方がいい。
たとえば、
ノートの中心に縦に線を引いて、
左側に、客観的な事実
右側に、主観的な感想
このように事実と感情を切り離していくのだ。
すると、
自分の “認知の歪み” に気づくことができるようになる。
勿論、
人間はロボットではないので、
そう簡単に割り切れるものではないのだが、
かといって、
「趣味は病むことです★」
なんて人もいないはずなので、
何事もちょっとずつ前進あるのみ。
病まないは作れる。
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