痛みへの関係性を変えるマインドフルネス
痛みとマインドフルネス?
毎日note更新は、やはり難しかったです(5日坊主?)できるだけ多く更新していくことを目標にしていきたいと思います。
さて、来週開催のマインドフルネスと心理臨床勉強会のテーマが「痛みとマインドフルネス」ですので、ここ最近痛みとマインドフルネスについての学びをしています。
痛みとマインドフルネスで、まず思い出すのは、「MBSRが慢性疼痛に効果的」というエビデンスです。(MBSR:マインドフルネスストレス低減法という、エビデンスの証明された一番有名な8週間のマインドフルネスプログラム)
そして、そして自分自身がMBSRを受講した際に、頭痛がひどくなったことがありました。今までの私だと「頭痛をすぐ薬でどうにか誤魔化そう」「症状を無くそう」と症状を除去しようとするのですが、MBSRのおだやかでゆっくりな癒しの空間を体験しているうちに、「頭痛が発しているメッセージ」に耳を傾けて必要なセルフケアをしようと思うに至りました。
結果、効きすぎている薬を減らし、あるタイプの頭痛は「ゆっくりしろ」というメッセージなのだと気づき、頭痛を感じたら休むように少しずつなりました。
マインドフルネスでは、このように、痛みを即座になくすことや感じなくすることではなく、痛みと共に生きる、あるいは痛みとの関係性を変えていく・・・ことが可能になります。
アディクションからの回復と痛み
今朝、Kevin Griffinという瞑想講師の「Buddhism and 12step」の日々の瞑想を読んでいたところ、ブッダが四聖諦において「痛みを避けることはできず、完全な満足を体験することはない」と述べていることが紹介されていました。
人生において、痛みは避けられない。
アディクトは痛みを避けるために、酒や薬やスマホや仕事を使っている面もあると思いますが、なんと完全な満足を体験することがない・・というのがまずショックですよね。
心のどこかで、頑張り続ければ、これを達成すれば「安泰の世界」が待っている気がしている、期待してしまっているところがあるように思います。いつかは、そこに行くために、「もっともっと」と頑張る・・ような。
おっしゃるとおりー。グサッ。
結局、辛い現実から逃避するというのが、アディクションの本質ですから、回復とは、辛い現実をしっかりと見つめ、失敗から学んで、成長するという地味なステップの繰り返しとなるということですよね。
その辺りのことは、こちらの本でも書いております。
痛みを全体から感じる
Being Present with Pain with Ronald Siegel, PsyD
(痛みと共にいる ロナルド・シーゲル)
という動画コンテンツを昨日聴いていたのですが、痛みをその部分だけじゃなく、より体全体から包んでみてくださいという教示がありました。
そのように、痛み(自分の場合は腰痛(汗))をそこだけ感じるのと、体全体で感じようと注意を広げていくと、痛みが弱まることに気づきました。
全体性において、痛みをみることで、感じ方がまるで変わるのです。
自動操縦から抜け出すことが痛みにおいても大事
私たちは、日常生活のなかで、考えることなしに自動的に行動しがちです。暇があればスマートフォンをいじり、動画を見つめ、ニュースを読みます。そして、目の前の出来事に関心を払うことなく、過去と未来の不安に囚われがちになります。
仕事をしていると、気づくと闘争か逃走か?状態になるほど、頑張りすぎてしまうのも一種の自動操縦でしょう。
体は、もっとも大事なサインを発しています。体の危機を知らせてくれているのです。
マインドフルネスを実践することで、「島」と呼ばれる内受容感覚(お腹が減った、トイレに行きたいなどの体のサインを受け取る感覚)を司る領域が、活性化することが指摘されています。
体から受け取るメッセージを、しっかりと受け止め、それに対して、自動操縦的に「修正しよう」「コントロールしよう」とするのではなく、体は何を必要としているのだろう?今、自分に必要なのはなんだろう?と思いやりと優しさとケアをもって自分自身の体とつきあうことができるようになる。
これこそが、マインドフルネスで痛みと付き合う上での最大の恩恵だと思います。
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月に一回、連続マインドフルネス講座を受講した方達を対象に、マインドフルネスと心理臨床についての勉強会を開催しています。
マインドフルネスと不安
マインドフルネスと抑うつ
マインドフルネスと痛み
マインドフルネスとトラウマ
マインドフルネスとアディクション
マインドフルネスと子ども
そんなテーマについて取り上げています。気づきをnoteにまとめてみたいなと考えています。