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僕がnoteを始めたのはたしか学生の頃で、バンドのライナーノーツを書き留めておくために利用していた。それ以外にもちらほらと文章を書いてはみたものの、とくに目的も伝えたいこともない僕にはそれを習慣化することは難しかった。 まだ「すこしまえ」と言えるようなころ、僕は社会人になった。随分と放置していたnoteだったが、自己紹介文でも書き換えようかと思い、一言「挙げ句の果てに社会に出てしまった。」と書き添えた。 そう、挙げ句の果てに、僕は社会に出てしまった。 社会に出た
さまざまな事情の連なりによって、ちょっとした休暇のようなものをいただけた期間があった。根本的には自由時間というわけではないが、繁忙期と対称の位置にあるような日々である。羽を伸ばすまではいかないが、凝り固まった身体を充分に伸ばしながら勤務にあたっている。 そんな生活が続くなかで、もちろん「これでいいのだろうか」という思いが首を擡げる。 その思いは刻々と波打って、「難しく考えることはないな」と霧散させるときもあったり、「主体的にならねば」と沈み込むときもあったりする。
これはもしかしたら以前にどこかで話したことかもしれませんし、そうではないかもしれない。仮にそうであったとしても、それはその時点で確定しているあるいは僕の中で生み出されつつある情報を元に醸成されたひとつの断面でしかないため、ここで再度そのことについて述べることが完全に無意味になるということはないでしょう。 もちろんいまからここで述べることも同様にあくまでも今時点での断面図でしかなく、それ以上の意味を見出すには少しばかり積極的な姿勢をとる必要があります。つまり、僕は今日ここで
僕は普段、バンドで演奏することを念頭においた曲を作っている。それは実際にバンドで演奏するためのデモ曲であったり、DTMで完結するいわゆるボカロ曲であったりするわけだが、バンドサウンドで曲を仕上げるということは共通している。 この前、ふとした思いつきでEDM系の曲を作ってみた。曲調を文章で表現することはあるいは意味のない行為だとも思っているため意味のない行為をすることになるが、EDM系というかエレクトロニックというか、目標としてそのうちハイパーポップの曲を作ることを掲げた
当たり前だけど、どうにも腹が減るときがある。 僕は日常的にコーヒーを飲むし、煙草を吸うし、胃が弱いため、うまく調整すればドーナツ二個だけで一日分の食事を終えることができる。 ただうっかりやなので、そういった調節無しで例えばお酒を飲んでしまうと、無性に腹が減ってしかたがなくなる。 一時期は本能を理性で制御するゲームとして、空腹を簡潔にやり過ごすことを楽しんでいた。しかしいまは時々自分がそういったことを楽しんでいたことを忘れてしまい、腹の虫に従って食事にお金をかけてし
たとえばあの日僕が、わけのわからない理由で就職することを辞めなければ、僕はもう少し真っ当な人生を送ることになったのかもしれないし、もう少し当たり前なそしてありきたりな道筋を経て、それでも結局おなじようなことを感じて日常を送ることになったのかもしれない。 たとえばあの日僕が、いつまでも子供みたいな駄々をこねることをせずにすっぱりと痛々しいまどろみを断ち切ることができていたとしても、そうしなかったことで生み出すことができた音楽がこの世に存在しなかったとしても、誰も彼もが辿る
優しいとか尊敬するとか素晴らしいとか、思いつく限りの形容詞はどれも、そのひとを表すには相応しくなかった。大切だとか大好きだとか尊敬するだとか、思いつく限りの形容詞はどれも、そのひとに対して抱く僕の気持ちを表すにはまったく相応しくなかった。 ゼロからイチへ相転移するその間際に僕はちょっとした不調をきたしていて、話の流れでそれをそのひとの前で口にしてしまった。自分の話はどうでもいいのに、思いつきで言葉を発してしまうことがままある、反省。 そのときそのひとがどんな表情でど
高校の頃、音楽を聴きながら勉強することを親に禁止されている友人がいた。集中力を阻害しないようにとのことだった。 僕は集中力に欠けるので問題を解いていても別のことを考えてしまったり、なにかしらの曲を聴いていないと頭のなかでなにかしらの音楽が動き出してしまったりするため、むしろ勉強に集中するために音楽を聴いていた。 うまい具合にゾーンに入ることができれば音楽は意識に入ってこなくなるし、一時間くらいのアルバムを選んでそれが終わるタイミングを休憩をとる、といった実用的な使いかた
かつて僕は「自分にはなんでもできる」と感じていた。 それは少なくとも僕にとっては「幼心に宿る普遍的な全能感」だけで説明されることではなくて、実際に幼少期の狭い世界で起こりうるおおくの障害は僕にとっては超えられないものではなかった。 もちろん何事にも例外はあり、挑戦の機会が多ければこそそれなりに失敗も経験した。 そんな失敗や成功や悲喜交々ご尤も、すべてを加味したうえで「自分にはなんでもできる」という信仰にも似た確信があった。 いまでは僕は「自分にはどの程度のことが
ひさしぶりに眠気を逃した。 空想と夢想のなかに現実が溶けていく感覚がなかなか訪れない。そのような感覚を欠いたねむりはまさに意識の消失のようで、どちらも「いつねむりについたか」を覚えていないことに変わりはないものの後者に関しては「うまくねむりにつけなかった」という記憶だけは身体に残る。 僕は昔からほんとうに寝付きが悪い。 それはたしか中学生のころのことで、朝まで目が冴えてしまって翌日の予定をなかったことにした覚えがある。そのころからもうずいぶん長いこと、すんなりと
それは惰性のようにも思えるし、慣性の都合上は詮方無いことのようにも思える。 とにかく僕は完成系に至れないまま、螺旋にならない円を描き続けている。 俯瞰してみれば「前」に進んでいる・あるいは「上」に登っている営みのなかで、局所的には過去の貯蓄でコトを成していることに自覚的になった。 いや、自覚はしていたものについて、自覚していることを自覚した、くらいが正しいか。 なにも変わっていない、と思う。 「そこ」に至るまでのプロセスは過去と比較して省力的な方向へと変わっ
先日、後輩のバンドのレコーディングにエンジニアとして参加してきました。2バンド分のレコーディングでしたが、みんな仲間なのでリズム隊の日と上物の日に分けてわいわい実施しました。 いまは録った素材を加工して音源を完成させるミキシングをしています。 僕は高校のころからたくさんのひととバンドを組んで一緒に楽曲を作り上げてきました。そのすべてにおいて僕が作曲をし、みんなで編曲していました。DTMを覚えてからは、他パートもある程度作成したものをデモとしてメンバーに渡しています。
診察室に通される。話すと決めていたものごとをまるで台本を読むように、そのまま話す。その台本の次に書かれていた言葉とそれほどたがわない診断を下される。 僕の伝えた情報量は要約すれば数行に収まる程度だし、その情報をもとに下せる診断の選択肢は少ない。純度の低い素人判断とそれほど変わらない。いつだって重要なのは「なにを言ったかではなくだれが言ったか」なのである。 さまざまな状況を鑑みるとそれで得をするわけじゃないからしない、というだけで、言葉だけで診断するものごとは結論をコン
満月の夜はほのかに明るい。その明るさは黎明のような爽やかなものかなしさとも、夕暮れなような艶やかなさみしさとも違う。 満月の夜は、土手に至る道がよく見える。生い茂る草木の緑がわかる。彩度は低く、緑と聞いて思い浮かべる色とは違うけど、確かにそれが緑だとわかる。 満月の夜は、川の流れがよく見える。音が聴こえなくても、土手の上からでも、遠くに澱みない流れがあることがわかる。 なるほど、大昔のひとびとが満月を特別視するわけだ。 街頭のない田舎においては、いまでも満月の夜