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挙げ句の果てに
僕がnoteを始めたのはたしか学生の頃で、バンドのライナーノーツを書き留めておくために利用していた。それ以外にもちらほらと文章を書いてはみたものの、とくに目的も伝えたいこともない僕にはそれを習慣化することは難しかった。
まだ「すこしまえ」と言えるようなころ、僕は社会人になった。随分と放置していたnoteだったが、自己紹介文でも書き換えようかと思い、一言「挙げ句の果てに社会に出てしまった。」と書き添えた。
そう、挙げ句の果てに、僕は社会に出てしまった。
社会に出た、といっても学生時代の方がまだ社会性があったと思うし、「自分で稼いだ給料のみで生活している」ということ以外に大きく変わったところはないなと思う。「やるべきこと」と「やりたいこと」の間をうまく行き来して、それなりに日々をやり過ごしている。
ただ着実に僕は歳をとる。
それは確実に不可逆的な効果で、「歳をとったから」なんて曖昧な理由で、様々な問題から目を逸らすことができるようになったり、様々な問題から目を逸らすことができなくなったりする。
今年の一月一日に降りてきた思いつきに従って、「noteを書くことを習慣化する」ことだけを目的に習慣的にnoteを書き始め、「noteを書くことを習慣化する」ことに成功した。習慣化するというのはその言葉の性質上いつの時点で習慣化していれば成功と言えるのかは曖昧なところがあると思うが、念のため「今年一年、週に一度noteを書く」という具体的な目標を掲げていたため、ちょうど大晦日に今年最後の記事を投稿することによって一度成功の旗印を立ててもいいのではないかと思う。
習慣化のみを目的に、とは言うものの、それ以外に副次的な効果が得られることを期待しなかったかと言われると嘘になる。例えば根本的な文章力が改善しないだろうか、例えば瞬発的な文章力が改善しないだろうか、文章を通じて誰かに伝えたいと思うようなことが見つからないだろうか、と。
少なくとも現時点では、主観的な判断では、一年前といまとでとくに違いは見つからない。
振り返れば2023年はとても長かったように感じる。仕事でも、いくつかのセクションに分けたプライベートそれぞれでも、どこをとっても「あれは一年前のできごとだったのか」と遠い目をしてしまう。
ただ唯一「つい昨日のことのよう」と思えるのが「noteを習慣化しようと決めた日」のことであり、だからそこだけがとくに前に進んでいないんだろうな。個人から分人への分割だけではなく、時間的な意味合いでも僕たちは「進んでいる部分」「止まっている部分」など複数の領域を抱えているということなのだろう。
この一年で経験したことは、肯定的な意味合いだけを含むわけじゃないけれど、そうしようと思えば「良くも悪くも」という言葉で肯定してしまえる、そういう範囲内の出来事ばかりだった。
そうしようと思えば「良くも悪くも」という言葉で肯定してしまえる、そう思うこと自体がなんだか年末にふさわしくて、らしくないな、と思った。
日記の域を出ない、テーマ性のない文章で目印を付けながら一年間過ごしてみたけれど、なにも変わらなかった。挙げ句の果てに、そう気づいてしまった話。