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協奏への変曲点
先日、後輩のバンドのレコーディングにエンジニアとして参加してきました。2バンド分のレコーディングでしたが、みんな仲間なのでリズム隊の日と上物の日に分けてわいわい実施しました。
いまは録った素材を加工して音源を完成させるミキシングをしています。
僕は高校のころからたくさんのひととバンドを組んで一緒に楽曲を作り上げてきました。そのすべてにおいて僕が作曲をし、みんなで編曲していました。DTMを覚えてからは、他パートもある程度作成したものをデモとしてメンバーに渡しています。
そうなると、出来上がる音楽はすべて僕から産まれた「種」が育ったものになります。
もちろんその「種」を産み出すためにはたくさんのひとや作品との関わりを前提とするため、厳密には「無から有」を成したわけではありません。
けれど僕が立ち会うのはいつもメンバーとの「化学反応」であり、僕自身は調味料というよりも農家あるいは酪農家の立場でした。
今回はほかのバンドのレコーディングということで、僕は楽曲という作品を音源というひとつのカタチに落とす工程に携わっています。すでに刹那的な、あるいは形而上の概念として「存在」する楽曲に具体的な実体を与える工程です。
最終的に出力される音源の制作にはもちろん大きな影響を与えることになるのですが(責任重大です)、あくまでもその作品の方向性を変えることはない、いわば黒子のような役割です。
僕は自分たちのバンドの作品についても何度もレコーディング・ミキシングをしてきたのですが、やっぱりその「自分たちの楽曲を自分たちの掌の上で形成する」という感覚とは異なり、原理的に正解は僕のなかに存在し得ない作業となるので、同じ工程・同じ物理的操作でも意味合いも得られるものも違うなと思います。
今回レコーディングエンジニアを引き受けるに至った経緯と同じ文脈のなかで、少しずつ僕は「誰かと共に作品を作る」というところが視界に捉えられるようになってきました。
ずっとやっている自分たちのバンドについては、メンバー三人で「BOYS DON'T CRY」というひとつの存在であるような気持ちで活動しているため、「他者との協奏」というよりは「自己の拡張」といった心持ちでいました。
だから、「他者との協奏」というものに気持ちを割り当てることができるようになったのは、長期的な傾向のあるひとつの変化なのだろうなと思います。唯一のベクトルのオーギュメントが変わったのではなく、次元をひとつ増やして捉えたときにパラレルで走るベクトルを増やすことができた、分岐させることができた、という。
まだ明確にプロダクトを完成させてはいませんが、これまで「お互いの興味関心を認め合う仲間」だったひとびとといくつかの「ある協奏」をはじめています。その結実を誰よりも楽しみにしているのが僕であるように、これからもたくさんの軸で活動をしていきたいです。
なにはともあれ、まずは先述したふたつのバンドの音源を完成させなければ。