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「書きたいのに書けない」の本当の原因は思っていたのと違った

「・・・書けない」
文章で発信している人は誰でも一度は経験があるのではないでしょうか。
(一度だけだったら超絶うらやましい!)

書きたいのに書けない。
この状態って本当に苦しい。


noteみたいな無料で利用できるプラットフォームで書くこと、
ワードプレスみたいに自分で運営するもの、
どちらも誰にも強制されていないのに、
ただ、書けないというだけでものすごい罪悪感。

今日も書けなかった、私って・・・
と自分で自分にダメ出しをして凹む。


そういうときはやめておけばいいのに、毎日更新している人の記事を見に行ってしまい、さらにどん底に落ちる。

もしかしたら、この文章を読んでくれているあなたも同じような経験があるかもしれませんね。

そもそも書けないってどういうことなのでしょう。

言葉のまんまやんってツッコミはおいておいて。

なぜ、書けないのか・・・。


私はブログを書き始めて約10年。
書けなかったり、方向性を悩んで休止している時期が、多分9年くらい
(ほとんどやん!)。

私は「書けない病」のプロなのです。
(自慢するところ?)

この10年。
書いたり、書けなかったり・・・
を繰り返すんだけど、圧倒的に書けない時間が長かった。

書きたいのに書けない。

藁にもすがるような気持ちでブログ講座に申し込んだのは去年のこと。
そこではブログの書き方を教わって、
毎日更新も頑張って、
自分が書ける人になった気がしていた。

でも、結局、手が止まり、
書きたいのに書けない病に戻ってしまった。

自分の方向性も決まって、
誰に何を書くかも決まって、
書き方も学んだ。

発信するのに必要なことは学び、
揃っているはずなのに、
自分が納得できる文章が書けていない。

私が再び書けない病に戻ってしまったのは、
今までとはちょっと違う。
書けるんだけど、自分が納得できる文章ではないから

だから、書いた気がしない。
もっと言ってしまうと自分が発したモノ
(言葉)のように感じられない。
すごくいいお役立ち記事(自画自賛)なのに、自分じゃない誰かが書いた気がする。

だから、せっかく書いたのに不完全燃焼で、
私が書きたいのは、コレじゃないって心の中でくすぶっていた。

ここ1年は書けないんじゃなくて、
書いても不完全燃焼。
書けば書くほど、モヤモヤとする。
だから、書きたくなくなってしまった。
書くことが好きなはずなのに、
楽しくなかった。

で、なんで書けないのか。
に話を戻すと、その理由がわかったのが、
今、受講しているライティング講座でのこと。

先に言うと先生はライティングのプロではない(失礼)。
そもそも、私と先生の出逢いは
交際0日でプロポーズ
状態だった(なんじゃそりゃ)。

たまたま読んだメルマガに先生の紹介とリンクが貼られてて、
普段はスルーすることが多いのに、
なぜかリンクをクリックしてしまった。
リンク先は先生からのメッセージだったのだけど、
その文章が心に突き刺さりまくって、
先生が誰で何者なのか、何をしている人なのか知らないのに、
無料説明会に申し込んでいた。
まさに
「はじめまして、結婚して下さい」
だった。

たまに「交際0日婚」の話を聞くけど、
正直「そんなことあるわけない」って思ってた。
でも、私は初対面の先生の講座に申し込んでしまった。
なにかに惹きつけられて、落ちることは自分にも起こったのだ。

なにが私の心を動かしたのか。

その理由がわかったのは、ライティング講座でのこと。
色々なワークをするうちに、
文章を書くことがめっちゃ楽しくなっていた。


シンプルにめっちゃ楽しい!

文章って、本来は心で感じたことを書くこと。

たとえば、今、書いているこの文章も、
言葉遣い、文法が正しくないかも
(いやっ、ところどころおかしいって)
しれないけれど、
自分が感じたこと、想いを伝えるのに
そんなことかまっちゃいられない、ですよね(突然、敬語に戻る)。

でも、それでいいんだって思えたの。
自分のままでいい。
自分が感じたことを、そのまま書いていいって

ワードプレスに書いた自分の文章が不完全燃焼に感じたのは、
自分の本音があまり表現されていなかったから。

書くなら、できるだけ多くの人に届けたい
文章を書く人の多くは、こんな風に思うと思う。
私もずっと思った。
むしろ、書くことに執着しすぎて、
人に読まれることばかり考えていた。

文章は独りよがりになってはいけない。
読者をおいてけぼりにしてはいけない。
確かにそうなんだけど、それも行き過ぎると
自分が存在しない、空っぽな文章になる。

自画自賛したお役立ち記事も、
私と同じような専門性や経験があれば、
書けてしまう内容。
いいこと書いてあるのに、ホントの私は不在のまま。
だから自分で書いたのに、ヒトゴトに感じていた。

自分の本音、心からの言葉ってエネルギーが宿るんですよね。
私がライティングの先生の文章に心を動かされたように、
そのエネルギーは必要とする人の心に届く。

そして、言葉で発信する醍醐味ってソコじゃないかなって思う。
動画でもない、踊りでもない(TikTokが歌って踊るだけと認識している)、
写真でもない。
ともしたら「オワコン」なんて揶揄されがちな文章。
なぜ、敢えて文章を書くのか、書きたいのか。

それは、自分の想いや本音をエネルギーに変換して、言葉に宿して、
必要とする人に届けることができるから。

そのことに気づけたので、これからは
「書きたいのに書けない」
ときは、何にとらわれているのか自問することにした。

書けない理由は人それぞれだと思う。
純粋にネタがない、なんてこともあるよね。
でも、ネタもある、書きたい気持ちもある、
画面に向かう、なのに手が止まる。
そんなときは、あなたは何かにとらわれているのかもしれない。

アクセス数?
フォロワーが減ること?
アンチが怖い?


書くことに真剣になればなるほど、
本来の書くことに必要がないことに縛られることがある。

あなたはどうだろう?


私から1つだけ言えるのは、
あなたの存在も文章も唯一無二だということ。

そんなあなたのメッセージを待っている人がいる。
だから、あなたのままで書き続けて欲しい。
私も、ありのままの自分で、
文体も文法も誤字脱字もありありだけど、
私は書くことが楽しくて幸せだし、
私の文章を読んだ人も幸せになる、
良いエネルギーの循環を生むために書き続けます。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
あなたがHappyでありますように。


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