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書けなかった私が、noteで居場所を見つけた話

「あなたにとってnoteとは?」


この間まで、自分にとってnoteがどんな存在なのか、明文化することができなかった。


「noteがあって良かったなぁ」
とか
「色々なクリエイターの色々な作品が見れて、おもちゃ箱のような美術館のような、好奇心が刺激される場」
とか。
そんな風に感じていた。


でも、今は一言で言える。
私にとってnoteは居場所
私の居場所。


約7年間、書きたいのに書けないことに苦しんできた。


そんな私が毎日投稿をはじめて、目に見える変化が起きた。
それはオンラインウィンドウショッピングをほぼしなくなったこと。


子どものころから、本と同じくらいファッションが好きだった。
学生時代はファッション関連の仕事かジャーナリストになりたかった。
文学部に進学したものの、ファッション熱も冷めることなく、ダブルスクールで夜間はファッション系の専門学校で学んでいたほど。


だから、ファッションに関することが根本的に好きなのだと思う。
暇さえあれば、ファッション系のサイトを覗き、ウィンドウショッピングをする。
私はオンラインウィンドウショッピングに多くの時間を費やしていた。


とくに書けなかったときは。
「今日こそ、書こう」
PCの前に座る。
でも、指はピクリとも動かず、画面は白いまま。
気がつくと、オンラインウィンドウショッピングに熱中していた。


無意識に時間を費やしていることや熱中していることを仕事にするといいと聞いたことがある。
その理論で言えば、
「(こだわりの)モノを探す、パーソナルスタイリストが向いているのでは?」と思ったほど。


そんな私が、今年になってからはあまりオンラインウィンドウショッピングをしなくなった。


去年までの私だったら、飽きもせず、何日でも、お気に入りのサイトでウィンドウショッピングを楽しんでいただろう。


毎日、noteを書き出したら、オンラインウィンドウショッピングの時間は書くための時間に変わった。
noteを書くことで私は満たされているのだ。
「誰かに想いを届けたい」
と想いながら、書くことで私自身が癒されている。


書くことは
自分と向き合うことであり、
自分の感情や思考を整理することであり、
自分を解放することであり、
自分を癒し、浄化すること。


私は書くたびに、心が軽くなっている。
だから書かずにいられないのだ。


そして、ずっとこんな風に書きたかった。
ただ書きたかった。


読んでもらうためには、
読みやすい構成とか、
読みやすい文章とか、
色々あるけれど、
ただ、心から湧いてくるものを綴りたかった。


そして、それができる場所を見つけた。
noteは私の居場所。


こんな風に、ただただ心から湧いてくることを綴っているだけだけど、
読んでくれる人がいて、共感してくれる人もいる。
「私はここで書いていいんだ」
書くたびに自分を肯定することができる。
だから書くほどに心から満たされていく。


あれほどたくさんの時間をかけて、オンラインウィンドウショッピングをしていたのは、心の隙間を埋めたかったのだと今はわかる。
夢を全否定されて、行き場がなくなった心、
書けない辛さ、
自分のホンネに向き合わず逃げている自分に気づきたくない気持ち


あの頃の私は、目を向けたくない感情にまみれていた。
それらから目を背けるように、
心の空白を埋めるように、
買いもしないモノで満たそうとしていた。


でも、自分のホンネから目を背けて、
外側ばかりを埋めても、
心は満たされない。
なぜなら、私の心は書きたいと叫んでいるのだから。


毎日noteを書き続けたら、
noteが私の居場所になった。


そして、思う。
いつかは他に居場所を見つけて、noteを卒業することがあるかもしれない。
とくに私は、昔から一所に留まることができない性分だ。
それが来年か、10年後なのか、自分の予想に反してずっとnoteを堪能しているか、先のことはわらかない。
だから、今、この瞬間を読んでくれているあなたと一緒に楽しみたいと心から思う。


あなたにとってnoteはどんな場所ですか?


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